ISSEKI

「生きてよかった」を追求中。本・認知行動療法・プログラミング(学習)について発信します。

認知行動療法で「生き方」を変える! 学び【10】生まれてしまったのだから、「楽」に「楽しく」生きよう

 

本記事は、筆者が認知行動療法のカウンセリング(120時間以上)で得てきた「学び」を、整理・凝縮してまとめたものです。

 

「自分を変えたい」と漠然と(または真剣に)思ったことのある方へ!

生きづらさを解消し、豊かに生きるための一助となれれば幸いです。

 

【注意】

以下は個人的なカウンセリング記録のノートを元にまとめたものです。筆者は「認知行動療法」を専門的に学んだわけではなく、正確な解釈をし損ねている恐れもあります。あくまで「個人的な知見」「ご参考まで」ということでお願い致します。 


目次

 

はじめに

 

今回は、認知行動療法シリーズの「総まとめ」として、以下3点の「学び」を整理していきたいと思います。

  1. 大切なのは、「現実思考」と「感情・気分
  2. 生きる意味を問うのは「マイナスの感情・気分」が多いから
  3. 生まれてしまったのだから、「楽」に「楽しく」生きよう

 

これまでの記事では、認知行動療法のカウンセリングにて、先生から学んだ内容を中心にまとめてきました。

上記3点は、筆者がそれらを実践するなかで得た「学び」、言い換えると「生きること自体が辛い」状態から「まずまず生きられる」ところにまで回復し、カウンセリングを終了できた「今」、指針にしたいと考えている「生き方」です。

 

つまり、上記3点はこれまでの記事とは異なり、筆者の個人的な「気づき」の要素が強く、かつ試行中の見解ということ。

このため、厳密には「認知行動療法の学び」とは言い切れませんが、それらを実践するなかで得た知見であること、強い影響を受けていることなどの理由から、本シリーズの最後に加えています。

 

 

これまでの記事の要約

 

【1】大原則は「現実思考」。それを磨き続けよう

*認知行動療法の大原則は、「現実思考」。「現実思考」とは、言葉の通り「現実的な考え」または「現実的に考えること」。大切なのは、「反射的に」あるいは「自分が考えたいように」ではなく、「証拠」や「根拠」にできる限り基づいて(=現実的に)考えること、かつ学びと実践によって、自分なりの「現実思考」を磨き続けていくことです。

 

【2】カギを握るのは「自分の解釈」。感情・気分が生まれるメカニズム

*現実思考をベースに「思考・解釈」を変えれば、「感情・気分」も変わります。大切なのは、不要な「マイナスの感情・気分」をつくり出す「認知の歪み(現実思考でない考え)」にまず気づくこと。次に、それらを「現実思考」で置き換えることです。

たとえば「不安」という「マイナスの感情・気分」がつくられているとします。そのことに気づき、原因となる「思考・解釈」が「現実的に妥当かどうか」を振り返る。その結果、「ほとんど起こり得ないことを過度に恐れている」「もし起きたとしても、部分的には対処ができる」などの「現実思考」で考えを置き換えられれば、つくられていた「不安」を軽減することが可能です。

 

【3】「解釈を変える」2つのハードル。対抗策:①自問する ②クセづける

*「思考・解釈」を「現実思考」で置き換えるのは、そもそも困難なことです。その理由は、自分の思考、言い換えると「自分にとっての当たり前(クセ)」に逆らうためには、エネルギーや知識が必要だから。加えて、「思考・解釈」に影響を与える「中核信念」は、通常、すぐには変わりません。「認知の歪み」を根本から防ぐには、思考の「置き換え」を繰り返して、現実的な考え方を「クセづける」必要があります。

「現実思考」が有用なのは、たんに建設的な思考や判断につながりやすいというだけでなく、「証拠」や「根拠」に基づくことで、「思考・解釈」の置き換えに不可欠な「納得感」が得やすいからです。「生きづらさを解消するため」と考え、休息や学びを挟みつつ、地道に実践することが大切です。

 

【4】幸せの極意:「現実思考」をベースに「自分の本心」に従う(自分本位で生きる)

*幸せの極意は、現実思考をベースに「自分の本心」に従うこと。その理由は、「自分の本心」に従うと「プラスの感情・気分(=幸せ)」が、逆らうと「マイナスの感情・気分(=不幸)」がつくられるためです。たとえば、現実的に大きな支障がなければ「食べたい」と思ったものを食べる。または現実的に妥当な範囲で、あえて「プラスの解釈」をする、など。

「現実思考」をベースにしていれば、周囲への配慮(法律や最低限のマナー・道徳の遵守)はすでにできていますし、仮に見落としがあったとしても、ほとんどの場面で挽回は可能。つど自分の「現実思考」を改める(磨く)前提で「自分の本心」に従うことは、必ずしも「利己主義」や「怠け」ではありません。むしろ、生きるうえでは欠かせないことです。

 

【5】否定的な意見は防げない。「人の目」は「相手」と「場面」に応じて気にする

*「人の目が気になって『自分の本心』に従えない」背景には、「否定的な意見は防げる」といった「認知の歪み」があります。ですが実際には、ほとんどの場合で意見や評価は3つに分かれる(3分の1の法則)ため、「否定的な意見・評価」を防ぐことも、「すべての人の目」を気にすることも不可能です。

限りある自分の時間やエネルギーを活用するうえで大切なのは、気にかける「人」や「場面」を選ぶこと。「現実思考」をベースに「7割のことでは自分本位」に、そして残りの「3割」を、利害関係のある人を含めた「大切な人」に、「場面」に応じて使うことが目安です。

 

【6】「自信」をつける方法:最も妥当でブレにくい「公正な自己評価」を積み重ねる

*最も妥当な自分の評価とは、「公正な自分」が自分に対して下した評価をさします。的確な「評価」に必要なものは、「情報」と「公正さ」。このため、自分に関する「情報」を最も多く持っている「自分」が、「公正さ」を持って下した評価が最も妥当、という理屈です。

ほとんどの「他者評価」は、「情報」と「公正さ」を満たさずに(吟味せず反射的に)下されるため、精度がまちまち(3分の1の法則)。望むタイミングでもらえるわけでもなく、本質的に「気まぐれ」なものです。「他者評価(人の目)」を基準に「自己評価」を決めるのは、自信や幸福感・活力の度合いを、そのような「気まぐれ」に委ねることと同じです。

他人に下された自分の評価は、あくまでも「参考程度」。建設的なのは、「公正な自己評価」に基づいて、自信をつけたり、前向きな努力を継続したりすることです。

 

【7】「大失敗」を防ぐために「小さい失敗」と改善をする

【8】先のばし対策のための「とりあえず」精神:①考え過ぎず②無理のない範囲で動く

*「失敗が怖い」や「先のばしグセ」の対処法は、「無理のない範囲」で、段階的に行動や挑戦をすること。それにより、失敗のリスクや精神的な負担を、対処可能な程度にまで抑えることができるためです。

「無理のない範囲」の目安は、「自分の不安が40%以下」であること。急激な進歩を目指すことには、大きなリスクが伴います。人と比べず、「現実思考」をベースに「今の自分」に適した目標設定すること。このことは、「継続」のコツでもあります。

 

【9】恋愛の極意:「プラスの感情・気分」を増やし、冷静に「相性」を見極める

恋愛の極意は、現実思考をベースに「自分の本心」に従い、「プラスの感情・気分」を増やすこと。つまり「幸せの極意」と同様です。それにより、自分と「相性がいい人」にとっての「自分の魅力」を高めることが可能です。
そして、長続きする相手を選びたいなら、好きになる「前」に、「違和感」の「大小」と「頻度」、言い換えると「相性」を確認すること。「ケンカや不仲のリスク」となり得る「違和感」を、好きになる(=判断が甘くなる)前に見極めることが大切です。

 

 

「認知行動療法」の実践から得た学び3点

①大切なのは、「現実思考」と「感情・気分」

 

認知行動療法から得た学びのうち、筆者が最重要だと考えているのは以下の2点です。

  1. 「現実思考」を持つこと、磨き続けること
  2. 「感情・気分」に着目すること

 

その理由は、以下の通りです。

  • 前提として、望ましいのは、「マイナスの感情・気分」を減らし、「プラスの感情・気分」を増やせるような「生き方」。なぜならそのほうが生きやすいから、言い換えれば「楽」で「楽しい」から
  • 上記の「生き方」を実践するには、自分の(場合によっては自他の)「感情・気分」に着目する必要がある
  • 加えて、「現実思考」を持ち、それを磨き続けることも大切。なぜなら持続的に「マイナスの感情・気分」を減らし、「プラスの感情・気分」を増やしていくためには、現実的に妥当な行動を取り続けることが不可欠だから

 

自分の「感情・気分」に着目し、「現実思考」をベースにできる限り「マイナスの感情・気分」を減らし、「プラスの感情・気分」を増やす。

その具体例は、以下の通りです。

 

「マイナスの感情・気分」を減らす

  • 「現実思考」をベースに「自分の本心」に逆らうことを極力減らす。たとえば現実的に大きな支障がなければ、「休みたい」と思うときには無理や自責をせず休む
  • 「現実思考」をベースに、「マイナスの感情・気分」の原因となる「認知の歪み」を「現実思考」で置き換える。たとえば「挨拶を返してもらえなかった」とき、とっさに「嫌われている、だから無視された」といった「マイナスの解釈」が浮かんだとしても、そこに客観的な「根拠」がなければ手放す。そして「聞こえなかったのかもしれない」「気分や体調が悪いのかもしれない」と捉え直す

「プラスの感情・気分」を増やす

  • 「現実思考」をベースに「自分の本心」に従う(自分本位に生きる)。たとえば現実的に大きな支障がなければ「食べたい」と思ったものを食べる
  • 「現実思考」をベースに「プラスの解釈」をする。たとえば「仕事で失敗をした」とき、「失敗をまったくしない」ことは不可能なため、「以前の自分よりは成長している」「これを機に行った改善のおかげで『大きな失敗』を防げた」と考える

 

当然ながら、現実思考にも、以下のような「弱点」はあります。

  • 自分の「感情・気分」に着目したり、思考を置き換えたりするには、エネルギーや知識が必要。つまり手間がかかったり、精神的な負担を感じたりする
  • 現実的に考えれば考えるほど、答えが出せない場合が多い。特に「価値」や「意味」の問題で顕著(たとえば、普遍的な「生きる意味」を現実思考で導き出すことは難しい)
  • 「直面する状況」も、各状況の「判断材料」や「視点」も無限に存在する。このため、「現実思考」は常に磨き続ける必要がある(改善の余地がある)

 

現実思考は、「万能」でも「絶対的な正解」でもなく、かといって、実践が容易なわけでもありません。

それでも、「現実思考」を判断や行動のベースにすること、学びと実践によって自分なりに磨き続けることは、「現実」に即してよりよく生きていくうえで、妥当な「処世術」の一つだと考えます。

 

 

②生きる意味を問うのは「マイナスの感情・気分」が多いから

 

認知行動療法を実践するなかで、新たに以下のような気づきを得ました。

  • 「生きる意味は何か」と問うのは、「プラスの感情・気分」よりも「マイナスの感情・気分」のほうが多い(言い換えると「採算が合わない」)から

 

上記の考えに至った理由は、カウンセリングで得た「学び」を実践するにつれ、「生きる意味」は不明なままでありながら、それを問う「頻度」は下がった、という下記のような事実があるからです。

 

「生きる意味」や「何のために生きているのか」を思い悩む頻度

  • カウンセリング前:おそらく、ほぼ毎日
  • カウンセリング3年目:月3日くらい
  • 現在(直近1ヶ月):月2日

*「カウンセリング3年目」かつ、初めての記事はこちら!

ありがとう、認知行動療法。「今の生き方に疲れているんですね」

 

経験的にわかったのは、「生きる意味」が不確かなままでも生きてはいける、ということです。

「何のために生きているのか」を考えるのは、「自分の本心」に逆らう思考や行動をすることで、「マイナスの感情・気分」を多くつくり出しているから。そのような苦痛に見合うだけの「プラスの感情・気分」をつくれないため、「生きている意味がわからない」状態になっていたのでは、と思います。

そうであれば、「生きている意味がわからない」「生まれてこなければよかった」と絶望的な心境になっているとき、確固とした「生きる意味」を見出すことよりも優先すべきは、つくられている「マイナスの感情・気分」を減らすこと。

具体的には、「自分の本心」に逆らうことを減らす、「認知の歪み」を「現実思考」で置き換えるなど。大切なのは、それらの対処を取ることにより、「マイナスの感情・気分」と「プラスの感情・気分」の体感的な合計を、「ゼロ以上」にすることです。

 

上記をまとめます。

「生きる意味」に関する問いの一因は、「マイナスの感情・気分」の多さにあると仮定する。このことから、「なぜ生きるのか」と考え苦しんでいるときには、まず「マイナスの感情・気分」を減らすことによって、疑問の「解決」よりも「解消」を目指す。

 

以上はあくまでも、個人的な経験に基づく「仮説」に過ぎません。とは言え、「現実思考」をベースに自分の「感情・気分」(ひいては「思考・解釈」)に対処することで、筆者の生きづらさが軽減したことは確か。暫定的な「生きる指針」の一つにしたいと考えています。

 

 

③生まれてしまったのだから、「楽」に「楽しく」生きよう

 

  1. 大切なのは、「現実思考」と「感情・気分
  2. 生きる意味を問うのは「マイナスの感情・気分」が多いから

 

上記2点の「学び」から、自分の「感情・気分」に着目し、「現実思考」をベースに「マイナスの感情・気分」を減らすことこそ、最重要だと考えます。簡単に言えば、生まれてしまったのだから、「楽」に「楽しく」生きよう、ということです。

 

「生まれてこないほうがよかった」と苦しんでいるようなとき、「生きる意味」を見出したり、そもそもの「生」を投げ出したりすることは難しい。一方で、つくられている「マイナスの感情・気分」を「現実思考」で軽減することは可能です。

 

「生きること」そのものではなく、「マイナスの感情・気分」を多くつくり出してしまう思考や行動、つまり現在の自分の「生き方」を問う。

そうすることで、明確な「生きる意味」はわからなくても、「その答えを求める気持ち」自体は落ち着く可能性があります

このため、まずは自分の「感情・気分」に着目し、「現実思考」をベースに「マイナスの感情・気分」を減らす。そして、できる限り「プラスの感情・気分」を増やせるような「生き方」をする。言い換えると、日々の大半を「マイナスの感情・気分」なしに(=ふつう以上の感情・気分で)過ごせる状態を目指す。

 

有限の「時間」と「エネルギー」、そして活用しだいで長所にも短所にもなり得る「自分の特徴」は、自分自身を含めた大切な人たちが「ふつう」以上の感情・気分をつくるために活用したほうが「お得」です。

たとえば、自分の「やさしさ」は、「誰に対しても」ではなく自分にとって「大切な人」のために使う。「まじめさ」は、自分が「プラスの感情・気分」をつくれる場合でこそ発揮する。「すべての人の目」ではなく、「大切な人の目」だけを、必要な場面でのみ考慮に入れる。

 

上記「①大切なのは、『現実思考』と『感情・気分』」でも述べたとおり、この方針は「万能」でも「絶対的な正解」でもありません。

このような、価値や意味、そして「生き方」などの、「現実思考」で答えを出せない問題に直面したとき、いったんの決着をつけるにあたり、先生はよくこう言っていました。

そのほうが「楽」で「楽しい」です。

 

 

補足:「生きる意味」を問うことは「ダメ」ではない

 

ここで補足しておきたいのは、「生きる意味」を問う、あるいは「生まれてこないほうがよかった」と思うこと自体は、「悪い」ことでも、「完全に間違っている」ことでもない、という点です。

 

その理由は、以下のような場面もあり得るためです。

  • 「生きる意味」を考えても、「マイナスの感情・気分」がつくられない(たとえば、哲学的に考えている)。つまり自他にとっての大きな「実害」がない
  • 「マイナスの感情・気分」がつくられているとしても、その時点では思考の置き換えに必須の「エネルギー」や「知識」が不足しているため、自力ではどうしようもない

 

上記2点目のような場合、「生きる意味は何か」「生まれてこなければよかった」と思考するからこそ、生きていられる(生きてこられた)と考えることも可能です。

少なくとも、カウンセリングを受ける前までの筆者が、「認知の歪み」を含んだ生き方をして、それでも(あるいはそれだからこそ)「生き残れた」ことは事実です。

*その一例はこちら!

「認知行動療法」カウンセリング記録。「自分の本心がわからない」は誤解。そのシンプルな見分け方

 

「現実思考」に基づいていない、かつ「マイナスの感情・気分」をつくり出す思考は建設的とは言えません。「マイナスの感情・気分」はそれ自体が苦痛なうえ、限界を超えた場合には、生きづらさやメンタル疾患の一因ともなり得るからです。

それでも、思考の置き換えに必要な「エネルギー」や「知識」が不足していて、そのため他に選択肢がないのなら、そんな状態の自分を責めても、さらなる「マイナスの感情・気分」をつくって悪循環に陥るだけです。

 

大切なのは、ある程度の「エネルギー」や「知識」を手に入れたなら、かつ依然として「マイナスの感情・気分」がつくられているのなら、その原因となる思考を「現実思考」で照らしてみる、といった対処をしたほうが「楽」で「楽しい」ということ。

 

自分の「思考」は、言ってしまえば「そのときの自分」が反射的に下した判断に過ぎません。このため、時間の経過や知識・経験の増加に伴い、「適正化」する余地が生まれるもの。

にも関わらず、「自分」や「自分の過去」を否定したくない気持ちから、「生まれてこないほうがよかった」といった思考を置き換えず、いたずらに「マイナスの感情・気分」をつくり続けることは「大損」です。

 

「より生きやすい人生にする」ために、「マイナスの感情・気分」の原因となる、現実的に妥当でない(強い言い方をすれば「間違った」)思考をしている事実を受け入れ、可能な限り「現実思考」で置き換えていく。

そうすることで、徐々に「中核信念」をも変えていける可能性があります。つまり自分の思考や行動、ひいては「生き方」が、根本から変わるということです。

 

 

共感する名言 / 本の一節

①ロルフ・ドベリ『Think right』

どのような情報も、1つの枠組みを通して描写されている。どんな枠組みに基づいた情報かをよく見極めよう。
そして、その情報のひとつひとつは、信頼できる友人から聞いた話であろうが、信憑しんぴょう性の高い新聞で読んだ内容であろうが、ある解釈の枠組みを通して述べられているということを忘れてはならない。本章も例外ではない。(p.31)

*情報を「うのみ」にしないことの重要性を説いた一節です。情報は「ある解釈の枠組みを通して述べられている」ため、おそらくは存在する「難点」については聞こえのいい表現でぼかしたり、そもそも言及しなかったり、といったことがあり得ます。つまり「一理ある」とは、「一理しかない」とも言える。

 

「解釈の枠組み」を変えさえすれば、別の「正解」が導き出され得る。それなら、ある「正解」や「ゴールデンルール」とされるものに則れなくても、やたらに「マイナスの感情・気分」をつくる必要はありません。あくまで「参考程度」にとどめて、自分の「感情・気分」を大切に、「今できることは何か」「無理なく前進するにはどうしたらいいか」などを考えるほうが気楽です。

そもそも「正解」を忠実に実践したいと望むのは、「マイナスの感情・気分」をつくらない、あるいは「プラスの感情・気分」をつくるためのはず。「ゴールデンルールが守れない自分はダメだ」と自責してしまっては、本末転倒です。

 

*「ゴールデンルール」の関連記事はこちら!

isseki-blog.com

 

 

②Testosterone・岡琢哉『心を壊さない生き方』

うつ病や不安症の方々は、さまざまな行動に対して「回避的」になってしまうことが知られています。行動に対して消極的になり、活動が減ることで、症状は長引いてしまいます。うつや不安がもっとも悪い状態のときには休息が一番の治療となりますが、その状態を脱した後には活動を少しずつ増やしていくことも重要です。また、筋トレに限らず、楽しみや達成感が得られる行動を毎日何か一つでも行うことも非常に有効になります。これは「行動活性化」という技法で、日々の行動を記録しつつ、小さな変化を見つけていきます。すると「行動によって減った不安」が徐々に可視化できるようになり、「得体のしれない不安」を具体的な不安に落とし込めるようになっていきます。(p.203)

*メンタルの回復、言い換えると「マイナスの感情・気分」を減らすには、大前提としての「休息」だけでなく、可能な範囲での「行動」も必要。経験的に、とても共感できる内容です。

休息によって心身のエネルギーを充電したら、「カウンセリングを検討する」「自分の思考を紙に書き出してみる」など、「自分の不安が40%以下」の行動を起こす。そうしなければ、前進も、根本的な改善もできず、「退屈」や不調の「再発」へとつながりかねないためです。

 

ちなみに本書では、「薬物治療との並行が一般的」としつつ、認知行動療法への言及もされていました。

認知行動療法はうつ病や不安症、強迫症などの多くの精神疾患に効果があるとされています。(p.175)

 

 

③モンテーニュ『エセー』

家事においても、勉強においても、狩猟においても、その他のあらゆる修行においても、ぎりぎりのところまで快楽を求めるべきではあるが、さらにすすんで、苦痛がまじりはじめるところまで深入りをしないように用心しなければならない。仕事や職業も、気持を緊張させるのに必要なだけに、そして忙しさと正反対の怠惰にともなう不快を避けるのに必要なだけに、とどめなければならない。(第一巻 第三十九章・孤独について)

私もできれば物事のもっと完全な知識を得たいとは思うが、あんなに高い代価を払ってまで買いたいとは思わない。私の意図は、余生を楽しく暮らすことで、苦労して暮らすことではない。そのために頭を悩まそうと思うほどのものは何もない。学問だってどんなに値打があるにしても、やはり同じことである。私が書物に求めるものは、そこから正しい娯楽によって快楽を得たいということだけである。勉強するのも、そこに私自身の認識を扱う学問、よく死によく生きることを教える学問を求めるからにほかならない。(第二巻 第十章・書物について)

われわれのよい状態とは、悪い状態の欠如にすぎない。だからこそ、快楽に最大の価値を認めた哲学の学派[注:エピクロス派]は、さらにすすんで、快楽をただ、苦痛のない状態としたのである。少しも苦しみをもたないということが人間の望みうる最大の幸福なのである。(第二巻 第十二章・レーモン・スボンの弁護)

*引用は筑摩書房『世界古典文学全集』から。こちらは現在Amazonでの取り扱いがないため、同じ訳者による本のリンク(上記)を貼り付けています。

*何であれ「苦痛がまじりはじめるところまで深入りをしない」。「われわれのよい状態とは、悪い状態の欠如」。これらは「マイナスの感情・気分」をできる限り減らし、「ふつう以上」の感情・気分でいられる状態を目指そうという、本記事の内容と通底していると感じます。

自分の不安が40%を超える(=無理な)取り組みが必要な場面もごくまれにあるとは思いますが、基本的には「自分の不安が40%以下」、できれば「プラスの感情・気分」をつくれるような「前向きな努力」を心掛けたいです。

 

余談ですが、「自分の文章を読み返すことが嫌い」という、以下のような記述にも共感を覚えました。

私は自分の姿を見直すことがきらいで、一度私から漏れ出たものは、いやいやながらでなければけっして読み直さない。(第三巻 第九章・空虚について)

 

 

④梅田孝太『ショーペンハウアー 欲望にまみれた世界を生き抜く』

ショーペンハウアーの幸福論は、「どうすれば欲望を満たすことができるか」を教えてくれはしない。むしろ、「より多くの欲望を満たせばより幸せになれる」という、幸福についてのお決まりの臆見を解体することをねらっている。「より幸せになろうとする」よりも、「できるだけ苦しみを少なくする」こと。それが、人生そのものに失望してしまうことを避け、心穏やかに生きていくためにショーペンハウアーが教えてくれる「人生の知恵」なのである。(pp.83-84)

臆見おっけん:「多くのひとが当たり前のように正しいと思い込んでいるけれども、確たる根拠のない主張」(p.41)

すでに見たとおり、ショーペンハウアーにとって幸福とは、より多くの欲望を満たすことではなく、むしろなるべく欲望を鎮め、心の平穏を得ることだった。そのために、次から次へと欲望を掻き立てる「外面の富」よりも、もともと備わっている「内面の富」に目を向けるべきなのである。(p.89)

*「西洋の伝統に根ざしながらも、その中心思想に西洋思想史上初めて古代インド哲学や仏教思想を取り入れた」(p.7)ショーペンハウアー哲学の入門書。要点を絞った説明と活用方法が、約120ページに凝縮されていて、とても参考になりました。

 

幸福のカギは、「苦痛」を許容できる程度にまで減らすこと。そのためには、「財産」や「他者からの評価」といった際限のない欲望を満たすことよりも、以下のような「内面の富」の追求を優先することが大切。これが、ショーペンハウアーの幸福論のようです。

第一に、「そのひとは何者であるか」。すなわち、人柄や個性、人間性などの内面的性質が第一の財宝とされる。そこには健康や力、美、気質、徳性、知性、そしてそれらを磨いていくことも含まれるのだという。(p.84)

 

「内面の富」を求めることが「苦しみを減らす」うえで妥当な理由は、お金や評判といった「外面の富」のほうが、「内面の富」よりも他者との比較が容易で、そのために「足りない」「劣っている」と、キリもなく考えやすいからだと思います。

生きるための必要を満たしていれば、あとは「足るを知る」。そして自分の内面や、興味・関心の追求を優先して生きる。「外面の富」は、他者との比較からではなく、自分の「苦痛」の軽減や、「幸福」の維持・増進のため、適度に求める。

「他人と比べない」ことは簡単ではありませんが、苦痛を減らすうえでは不可欠だと思います。地道に実践していきたいです。

 

 

⑤ショーペンハウアー『幸福について』

ごく大ざっぱに概観すれば、苦痛と退屈は、人間の幸福にとって二大敵手である。さらに私たちは、この二大敵手のうち、一方からうまく遠ざかっても、もう一方に近づいてしまうと言えよう。その結果、私たちの人生は実際、振り子のように強く、弱く揺れながら、この両者の間を行ったり来たりしている。(中略)したがって下層階級の人々はたえず困苦と、つまり苦痛と戦い、裕福な上流階級の人々は年中、退屈を敵にまわして、しばしば誠に絶望的な戦いをしている。(pp.39-40)

*上記④の原典の一つとなる本書では、「内面の富」を優先すべき理由として、以下のような例を用いつつ、人生は「苦痛」と「退屈」の間を行き来する「振り子状態」だと説明しています。

  • 外面的・客観的には「経済的に貧しい」と苦痛を、「豊か」だと退屈を感じる
  • 内面的・主観的には「感度が鈍い」と退屈を、「鋭い」と苦痛を感じる

 

続いて、この「振り子状態」を脱して幸福に生きるカギとして、「実生活のほかに『知的生活』を営むこと」があげられています。「生き生きと没頭できる楽しい知的生活」(p.58)は、「苦痛」とも「退屈」とも無縁だから、という考えのようです。

「幸福と享楽のあらゆる外的源泉は、その性質上、きわめて不確かで当てにならず、はかなく、偶然に左右され、どんなに有利な状況にあっても、たちまち滞ることがある」(p.48)ために、「生き生きと没頭できる楽しい知的生活」を営んでいる人、環境的・能力的にそれが「できる人」こそが「幸福な人」と説明されています。

 

知的生活には、たとえば「昆虫・鳥類・鉱物・貨幣の単なる収集・記録から、文学や哲学の最も優れた業績にいたるまで、無数の段階がある」(p.59)。物質的ではなく精神的、外部ではなく内部の楽しみ、といった意味合いだと思います。

 

この「知的生活」を優先することにより、「苦痛」と「退屈」の「振り子状態」から能動的に脱する。

とは言えそのためには、お金や評判といった、ある程度の「外面の富」を持つこと(環境)や、他者と比べず「足るを知る」ができること(能力)なども不可欠です。

それらの条件を満たすことは簡単ではありませんが、そうしない限り、「振り子状態」からは逃れられない。「外面の富」への欲望はほどほどにして、無理のない範囲(自分の不安が40%以下)で、あくまでも「内面の富」の充実を目指す。それが大切と感じました。

さらに、ほとんど、あるいは、まったく輸入せずにすむ国がいちばん幸福であるように、内面の富を十分に持ち、自分を楽しませるために、外部からくるものをほとんど、あるいは、まったく必要としない人間がいちばん幸福である。(p.47)

*本書は、こちらの記事でも取り上げています。

 

 

⑥アガサ・クリスティー『暗い抱擁』

「ときには──いつかは死ねるということを考えて、せめても心を慰めることだってあるものですよ」(中略)

「とても痛むのかしら──しょっちゅう? だから、あの──」

「ときにはかなりね。しかし、イザベラ、それだからじゃあない。今の私には生きていくうえに何の希望もないんだ。あなたにはそれがわからないのかなあ」

「でも──あたし──たぶん、馬鹿だからよくわからないんでしょうけど──人間って、何かしら希望をもって生きていかなくちゃいけないものなのかしら? ただ生きてるだけじゃ、なぜ、いけないんでしょう?」(pp.117-118)

*生きる希望を失っている語り手に対し、ヒロイン・イザベラが掛けた一言。

自分の願望には、「もしも(他者がそれを望んでいると)知らなければ」そもそも欲していない「こと」や「もの」が、多く含まれていることに気づかされます。

たとえば「希望を持って生きなければ」「幸せでなければ」「生産的でなければ」など。ところが、本質的な望みは何かと改めて考えてみれば、それは「マイナスの感情・気分」をつくっていない、つまり「ふつう以上」の感情・気分でいること。先にあげた希望や幸せ、生産性などはその状態の「副産物」であって、そもそもの目的ではない、ということになります。

 

「苦しみ」は、以下の2点にざっくり分類できると思います。

  1. 「他者比較」に由来しない苦しみ。たとえば、ケガや不調、大切な人との別れなど
  2. 「他者比較」に由来する苦しみ。たとえば、自分の必要は満たしているものの、自分が想定する「他人」には高く評価されないと感じる容姿・仕事・持ち物・能力・精神状態などを「劣っている」として苦しむ

 

上記の「語り手」は、2点目の「苦しみ」を、より耐え難く思っている様子です。

この一節を読んで、2点目の「苦しみ」に関しては、基本的には「手放す」ほうが気楽だ、と感じました。

その苦しみは、自分自身より「他者の願望」を重視したり、「他者比較」を行ったりすることで生まれた願望が「叶わない」ことに由来します。1点目の「苦しみ」とは異なり、その有無や度合いは想定する「他者」に左右される。

そのような曖昧な願望が叶わないこと、あるいは叶えようと無理をすることで「マイナスの感情・気分」をつくるより、その願望自体を手放したほうがいっそ楽、という理屈です。

 

社会で生きている以上、他者の願望を知ることや、他者比較を行うことと無縁でいるのは困難です。とは言え、自分が想定する「他者の願望」を実現させることだけに、限りある時間やエネルギーを注いでいては「大損」です。

「『ない』ことで苦しんでいるその願望は、本当に叶えたいことなのか?」「1点目の苦しみなしに『生きている』だけで、実のところ十分なのでは?」と、読むたび考えさせられる、印象的な一節です。

 

 

⑦ジョセフィン・テイ『歌う砂』

そして初めて、「生」とはいつか喜びが感じられるかもしれない状態のことだと認識した。(p.8)

*神経症を患って病気休暇中のグラント警部。「朝と人生に直面するのが堪らなかった。できるなら、ぐちゃぐちゃになった寝台にもう一度身を投げ出して、眠って眠って眠り続けたかった」(p.6)という状況から、「歪んだ喜び」(p.8)が湧き出たことから上記の認識を得ます。

 

「生」とは、「いつか喜びが感じられるかもしれない状態」のこと。

このことは、「生きてさえいれば何かしらの希望はある」とも、「希望がなければ、生きているとは言えない(死んだほうがマシ)」とも解釈できると思います。

 

「マイナスの感情・気分」を多くつくっている状況で、前者の考え方をする(達観する)ことは難しいです。このためまず「休息」し、それから「マイナスの感情・気分」に対処する。あくまでも、優先すべきは「希望を持つ」ことではなく、「ふつう以上」の感情・気分でいること。いつか喜びが感じられる「かもしれない」と思える状態でいることこそ、大切だと感じます。

「ふつう以上」の感情・気分でいれば、自然と希望も湧きやすくなります。とは言え「希望を持つ」という高い目標設定をしてしまっては、「まったくない」と考えて「マイナスの感情・気分」がつくられてしまいがち。それでは本末転倒だからです。

 

自分の「感情・気分」に着目し、「現実思考」をベースに「マイナスの感情・気分」を減らす。できれば「プラスの感情・気分」を増やす。

このような「生き方」は簡単でも万能でもありませんが、目指したほうが「楽」で「楽しい」と実感しています。

 

今回は以上です。

読んでくださってありがとうございました!

 

 

<今日のISSEKI>

 

「生きる意味」はわからなくても、「生まれてきた」ことは確か。

現実思考をベースに「マイナスの感情・気分」を減らし、「プラスの感情・気分」を増やす。つまりは、なるべく「楽」に「楽しく」生きよう。