本記事は、筆者が認知行動療法のカウンセリング(120時間以上)で得てきた「学び」を、整理・凝縮してまとめたものです。
「自分を変えたい」と漠然と(または真剣に)思ったことのある方へ!
生きづらさを解消し、豊かに生きるための一助となれれば幸いです。
【注意】
以下は個人的なカウンセリング記録のノートを元にまとめたものです。筆者は「認知行動療法」を専門的に学んだわけではなく、正確な解釈をし損ねている恐れもあります。あくまで「個人的な知見」「ご参考まで」ということでお願い致します。
目次
【本記事のポイント】
- 幸せの極意は、現実思考をベースに「マイナスの感情・気分」を減らし、「プラスの感情・気分」を増やすこと
- 言い換えると、現実思考をベースに、大半のことでは自分の本心に従う(自分本位で生きる)こと
- 「現実思考をベースに」とは、現実的に妥当か(公正か)を自己チェックすること
- 「自分の本心に従う:自分本位で生きる」ことは、必ずしも「利己主義」や「怠け(甘え)」ではない。むしろ、よりよく生きるうえで必要なこと
1. 幸せの極意:「楽」に「楽しく」生きる方法
①「自分の本心に逆らう」を減らす
「幸せ」や「幸福感」を大ざっぱに「プラスの感情・気分」とすると、それをつくり続けるために必須の「両輪」は、以下の2つです。
- 現実思考をベースに「マイナスの感情・気分」を減らす
- 現実思考をベースに「プラスの感情・気分」を増やす
*「プラス / マイナスの感情・気分」の定義は以下です。
プラス:できるだけ持っていたい感情・気分(楽、楽しい、嬉しいなど)
マイナス:できるだけ避けたい感情・気分(苦しい、悲しい、怖いなど)
この「両輪」は、以下のようにも言い換えられます。
*詳しくは次の項にて説明します。
- 現実思考をベースに「自分の本心に逆らう」を減らす
- 現実思考をベースに「自分の本心に従う:自分本位で生きる」を増やす
特にメンタルの不調があるときは、1点目の「本心に逆らう」つまりは「マイナスの感情・気分」への対処が先決だと私は感じます。理由は以下です。
- 「マイナスの感情・気分」は、「認知の歪み」や「自分の本心に逆らっている(無理をしている)」サインの恐れがあるうえに、生きづらさやメンタル疾患の一因。放置すべきではない
- 「マイナスの感情・気分」を感じていると、一足飛びに2点目の「本心に従う:プラスの感情・気分を増やす」が実行しづらい場合がある(エネルギー不足のため)
私のカウンセリングでも、先生はまず「マイナスの感情・気分」への対処から取り組みを始めてくださいました。
「認知の歪み」による「マイナスの感情・気分」は、本来は不要(感じるだけ損)な感情・気分です。
また、「自分の本心」に逆らう(無理をする)ことでも、同様に「マイナスの感情・気分」はつくられます。これらによって生じた「マイナスの感情・気分」を「いつものこと」と放置することは、生きづらさやメンタル疾患につながりかねません。
安定したメンタルを保つためには、まず「認知の歪み」や必要以上の「本心に逆らう」を現実思考で解消し、「マイナスの感情・気分」をつくらないことが大切です。
*「認知の歪み」と「マイナスの感情・気分」との関係については、以下の記事にて詳しく紹介しています。
②「自分の本心に従う」を増やす
両輪のもう片方は、現実思考をベースに「プラスの感情・気分を増やす」つまりは「自分の本心に従う」ことです。
先の項でも触れましたが、「自分の本心に従う:自分本位で生きる」ことと、それによってつくられる感情・気分は関連します。自分の本心に逆らうと「マイナスの感情・気分」が、従うと「プラスの感情・気分」がつくられます。
理由は以下です。
- 「自分の本心に従う」ことは、結果がどうあれ「気が済む」という「プラスの感情・気分」につながる
- 「自分の本心に逆らう」ことは、結果がどうあれ「不満」という「マイナスの感情・気分」につながる
例えば最終的に、「感謝される」「お金になる」などの望んだ結果にはならなくても、「本心に従う」ことで「やりたいことをやった」という達成感・満足感は「確実に」得られます。自分でコントロールして「プラスの感情・気分」をつくれる、ということです。
そして「プラスの感情・気分」でいると、やる気やパフォーマンスは向上し、行動も能動的になります。
自分が生きやすくなるだけでなく、良好な「人間関係」や持続的な「自己成長」「他者貢献」の可能性をもひらけます。
「マイナスの感情・気分」を減らす一方で、自分の本心に従って「プラスの感情・気分」を増やす。
この両輪だけが「幸せの絶対法則」で「万能」だとは限りませんが、一つの妥当な「処世術」ではあると私は考えています。究極的にはそうしたほうが「楽」で「楽しい」し、そのため「継続」もしやすいからです。
以下は、よく先生に言われる言葉です。
幸せになりたいなら、「自分の本心」に従うことです。
なぜなら、究極的にはそのほうが「楽」で「楽しい」から。
本心の見極め:「感情・気分」と「浮かんだタイミング」
「本心」には以下の特徴があります。
- 従うことを考えると「プラスの感情・気分」になれる(「わくわく」「楽しい」など)
- 基本的には、いちばんに思い浮かぶ(考える)
自分では「これが自分の本心だ」と思っていても、実際にはそうでない場合があります。
ある考えに従うことを想像したときの感情・気分が「プラスかマイナスか」。あるいは「最初に考えたことかどうか」。「自分の本心」の見極めは、この2点で行うことが可能です。
前提:現実思考(それは公正か?)
幸せの極意である「両輪」を再掲します。
- 現実思考をベースに「自分の本心に逆らう」を減らす
- 現実思考をベースに「自分の本心に従う:自分本位で生きる」を増やす
ここでも前提となるのは、認知行動療法の大原則「現実思考」です。
「現実思考をベースに」とは、ある「自分の本心」を実行することが「現実的に妥当か:やってOKか」の自己チェックを指します。
重要なポイントは「公正か」どうか。具体的には以下を含みます。
- 法律や最低限のマナー・道徳に反していないか(=合法か?)
- 二重基準ではないか(例えば自分ならOKだが他人はダメ、あるいはその反対といったように、自分「だけ」に甘かったり、逆に厳しかったりしないか)(=公平か?)
ある自分の本心を実行することが「公正」と判断できるなら、「やってOK」として、なるべく従う(自分本位で生きる)。これが、「『現実思考』をベースに『自分の本心』に従う」ということです。
「現実思考」をベースにしていれば、法律や最低限のマナー・道徳から大きく(あるいは何度も)外れてしまうことはありません。まわりに迷惑をかけたり、失敗と思えるような事態が起こったりしても、そのつど自分の「現実思考」を修正・改善していくことで、次の判断へと生かせます。
自分の「現実思考」を磨き続けることで、地に足をつけつつ適切な形で「自分の本心」に従うこと、「プラスの感情・気分」をつくり続けることが可能となります。
*「現実思考」の関連記事
目安:「7割」は自分本位、「3割」は他人を優先
まとめると、「幸せの極意」は以下です。
- 現実思考で「やってOK」なら、自分の本心に従う(自分本位で生きる)
- 「7割」は自分を優先:自分の本心に従う(自分本位で生きる)
- 「3割」は他人を優先:必要に応じて、自分の本心に逆らう
「7対3」の割合は、あくまでも「目安」です。
大切なのは、「自分本位」の割合が「他人を優先」よりも「多い」こと。
ほとんどの場合で「他人を優先」して自分の本心に逆らう(自分をないがしろにする)と、「マイナスの感情・気分」が優勢となり、生きる気力は減退します。
そのような無理をして、例えば一時的に「他者貢献」できても、気力がなくなってはそれを継続できません。生きづらさやメンタル疾患へとつながる恐れも生じます。
一方で、「自分の本心に従う:自分本位に生きる」ことは、以下のようにも表現できます。
- 自分が喜ぶことをする
- 自分を好きになれるほうを選ぶ
- 自分を大切にする
「自己肯定感」を持つことや自分を大切にすることは、より良く生きていくために必要なことです。「②『自分の本心に従う』を増やす」でも述べたように、「自分の本心」に従うことで「プラスの感情・気分」をつくることは、パフォーマンスの最大化や良好な人間関係、持続的な「自己成長」「他者貢献」へとつながります。
大半のことで「自分の本心に従う:自分本位に生きる」ことは、「やってはいけないこと」ではありません。「現実思考」をベースにしているのなら、そのほうが「楽」で「楽しい」うえに、持続的な「成果」にもつながりやすいです。
2. 「自分の本心に従う」にあたり、私が感じていた抵抗
①それは「利己主義」ではないか?
「自分の本心に従う:自分本位で生きる」ことは、必ずしも「利己主義」や「自分勝手」ではありません。
理由は以下です。
- 現実思考をベースにしていれば、他者への最低限の配慮はできている。他者をまったく尊重しない「利己主義」や「自分勝手」とは異なる
- ほとんどの人が、7割(大半)のことでは「自分の本心」に従っている(自分本位で生きている)。その逆の生き方では「マイナスの感情・気分」が優勢になり、生きづらさやメンタル疾患へとつながりかねない
- 「自分の本心」に従って、「他者を優先する」ことも充分あり得る。つまり、双方が「プラスの感情・気分」になる場合もある
また、以下は②の「『努力』や『成長』ができなくなるのでは?」とも共通しますが、そもそも「それを心配する人は、そうはならない」という考え方もあります。
「心配」するのは、すでに他者への配慮ができている(②の場合には、努力・成長志向である)証であるため、その逆には「なりようがない」という理屈です。
このことは、「本心は一つではなく、バランスが取れるようになっている」ことから生じます。例えば、「食べたい」に対し「健康でいたい」、「独り占めしたい」に対し「嫌われたくない」、「現状を維持したい」に対し「自己成長したい」などです。
そのため、徹底して「利己主義」になってしまう(②の場合には、怠けてしまう)ことを、あえて心配する必要はないと考えられます。
関連する先生の動画:「自分本位」から「自分勝手」に変換する
<動画のポイント>
- 「自分に厳しい人」や、「自分より他者を優先する人」は、言葉の変換を行い、無意識的に自分により厳しくあろうとしてしまう
- 例えば、「自分本位」を「自分勝手」、「優しくする」を「甘やかす」、「承認欲求」を「自己顕示欲」に変換する
- それにより「自分の本心」を押さえ込み、ストレス(メンタル疾患の一因)が蓄積されてしまう
- 他人を優先しすぎる(自分を常に押さえつける)人は、「自分本位」であることが大切
*「マイナスの感情・気分」を過度に感じてまで自分に厳しくしてしまう人、それが「できてしまう」人ほど、「自分に優しく」することに困難を覚えるかもしれません。だからこそ、意識して「自分の本心に従う:自分本位で生きる」ことが肝心です。それによって「プラスの感情・気分」でいることが、本人にとって、さらには周囲の人にとっても、よりよく生きていくために必要なことだからです。
②「努力」や「成長」ができなくなるのでは?
「自分の本心に従う:自分本位で生きる」ことで、努力をしなくなり、「成長できなくなるのでは」とも考えていました。
それが妥当ではない理由は以下です。
- 「自分の本心」に逆らうことで「マイナスの感情・気分」がつくられると、パフォーマンスも下がる
- 「自分の本心」に逆らって(無理をして)努力をしても、続かない
「努力」は一般的に「良いこと」「すべきこと」ですが、「本心に逆らって(無理をして)でも努力すべき」とは、一概に言えません。
「マイナスの感情・気分」をつくり続けてまでする「努力」は、上記の理由から「見合う成果につながりづらい」と考えられるからです。
「努力」は、それ自体を良い・悪いとするのではなく、それをすることで「プラスの感情・気分をつくれるか」という視点で活用することが大切だと思います。
具体的には以下です。
- 「自分の解釈」を変えて、今している(しようとしている)努力によって「プラスの感情・気分」をつくる。つくれないなら、その「努力」はしない
- 「プラスの感情・気分」をつくれる、つまりは「自分の本心に従う:自分本位で生きる」ことに基づいた努力をする
*「自分の解釈」と「感情・気分」との関係については、以下の記事にて詳しく紹介しています。
同様に、例えば「他者貢献」や「他者比較」も、「プラスの感情・気分」がつくれる形で行うことが適切だと考えます。
「他者比較」はネガティブに取られがちですが、「マイナスの感情・気分」をつくらない程度であれば、行動や挑戦へのモチベーションにもなるため、むしろ有用です。
「他者貢献」は一般的に奨励されることですが、「マイナスの感情・気分」をつくり続けなければ(「自己犠牲」的でなければ)できないことなら、一口に「良いこと」とは言えません。それを続けることは難しいうえ、「マイナスの感情・気分」が優勢になれば、メンタルを病む一因にもなりかねないからです。
一方で、「自分の本心に従う:自分本位で生きる」に基づいた「他者貢献」であれば、「プラスの感情・気分」がつくられますし、より持続的です。
共感する名言 / 本の一節
①フランク・マルテラ『世界一しあわせなフィンランド人は、幸福を追い求めない』
自分に正直になり、自分の価値観や関心に従うことが、真に活き活きと生きることにつながる。(略)人間は、自分の意思で選んだことに取り組んでいるときに、本当の自分、自分の価値観をよく知り、それに忠実に従って生きているときに、最高の存在になれる。そのときこそ、人生は生きるに値するものになるのだ。
(p.191)
*個人的に解釈した本書の主旨は、「幸福ではなく『自分にとっての意味・価値』を追い求めると、幸福になる」です。この「自分がどう思うか」を大切にする点は、「自分の本心に従う」ことと通底していると感じます。
②P.D.ジェイムズ『皮膚の下の頭蓋骨』
バクリイは伯父が心から好きだったので自分の身を切られるような思いを味わい、伯父の死の際に永永とつづけられた苦しみようは彼に一つの決意をもたらした。もし、人間の肉体がその持ち主に対してこんなことまでしてのけるのなら、何か見返りがあってしかるべきだという決意である。これからはおれは何一つ罪の意識なしに肉体の快楽をむさぼろう、と軽薄そのものの享楽主義者に彼はなっていたかもしれない。もし、持ち合わせていた向上心と警戒心がああも強くなかったなら。
(p.360)
*「自分の本心に従っていたら暴走するのでは?」と心配していましたが、それで「暴走」する人は、そんな心配は元からしないと先生に言われました。上記の一節が印象的なのは、「ヤケになって『享楽的に生きよう』と試みるも、持ち前の向上心と警戒心に阻まれる」という一面に共感するからだと思います。
今回は以上です。
読んでくださってありがとうございました!
<今日のISSEKI>
現実思考をベースに、大半のことでは「自分の本心に従う:自分本位で生きる」。
それにより、地に足をつけつつ「プラスの感情・気分」をつくり続けられる。