本記事は、筆者が認知行動療法のカウンセリング(120時間以上)で得てきた「学び」を、整理・凝縮してまとめたものです。
「自分を変えたい」と漠然と(または真剣に)思ったことのある方へ!
生きづらさを解消し、豊かに生きるための一助となれれば幸いです。
【注意】
以下は個人的なカウンセリング記録のノートを元にまとめたものです。筆者は「認知行動療法」を専門的に学んだわけではなく、正確な解釈をし損ねている恐れもあります。あくまで「個人的な知見」「ご参考まで」ということでお願い致します。
目次
- 1. 「本心に従う」最大のハードルは「人の目」
- 2. 「否定的な意見」は防げない
- 3. 気にするのは「好きな人」「利害関係がある人」だけでいい
- 4. 余談:相性について
- 5. 先生の言葉:「嫌いなら食べなければいいでしょ」なスタンスでいい
- 共感する名言 / 本の一節
- <今日のISSEKI>
【本記事のポイント】
- 「人の目が気になって動けない」背景には、「否定的な意見は防げる」という「認知の歪み」がある
- ほとんどの場合で意見や評価は3つに分かれる(3分の1の法則)ため、すべての意見・評価を気にすることも、「否定的な意見・評価」を防ぐこともできない
- 気にするのは「好きな人」や「利害関係がある人」、かつその人(たち)を巻き込む「場面」だけ(目安:自分本位が7割、他人を優先が3割)
- 「自分の本心に従う:自分本位で生きる」と、「相性」がわかる。「相性のいい人」と付き合い、絆を深めたほうが「楽」で、「楽しい」
1. 「本心に従う」最大のハードルは「人の目」
前回の記事では、「幸せの極意」として以下の内容を取り上げました。
- 現実思考をベースに、大半のことでは自分の本心に従う(自分本位で生きる)
- 「現実思考をベースに」とは、ある「自分の本心」を実行することが「現実的に妥当(公正)か」つまり「やってOKか」を自己チェックすること
- 「大半」の目安は「7割」。必要に応じ、3割くらいは他人を優先する(自分の本心に逆らう)
*3点目の「他人」とは、主に「好きな人」や「利害関係がある人」のことを指します(詳細は後述します)。
また、「自分の本心に従う:自分本位で生きる」を阻むものとして、「それは利己主義ではないか」と「成長できなくなるのでは?」の2点を取り上げ、それぞれ反証を挙げています。
本記事では、上記2点より高い(あるいは最大の)ハードルと思われる「人の目」について、カウンセリングで教えられた内容をまとめます。
*前回の記事はこちら!
2. 「否定的な意見」は防げない
2.1. 人の目を気にする理由:認知の歪み
人にどう思われるかを気にして「自分の本心に従う:自分本位で生きる」ことを制限してしまう背景には、以下のような「認知の歪み」が存在します。
- 「否定的な意見」が出ることは、(努力すれば)阻止できる
そのような認知の歪み(=誤った前提)が、「私が変われば何とかなる」という誤った考え方を生み、「否定的な意見」を防ごうとして「自分の本心」に逆らうことにつながります。
例えばもっと「まともなら」「やさしくすれば」「がんばれば」「相手の要望に応えれば」…などです。
「不可能」を「可能」だと考え、人から悪く思われないよう「自分の本心」に逆らい続ける(無理をする)。そのような生き方をしていれば、疲労困憊して当然です。
実際には、自分に対する「否定的な意見」は防げません。また、「否定的な意見」が必ずしも「正しい」わけでもありません。
それらは単に、大抵のケースで当てはまる「3分の1の法則」の結果、つまりは「主観」かつ「なんとなく」で(反射的に)下されただけの「否定的な意見」に過ぎない可能性があるためです。
*「認知の歪み」については、以下の記事にて詳しく説明しています。
2.2. 3分の1の法則:「意見」や「評価」はバラつく
「3分の1の法則」とは、物事を「3つのカテゴリ」に分けて認識する傾向を指します。例えば「好き・嫌い・ふつう」や「良い・悪い・どちらでもない」などです。
ある物事を3つのどのカテゴリに分類するかは、その人の「好み」や「価値観」、つまりは「主観」によって決まります。「好み」や「価値観」は人それぞれなので、同じ物事に対しても、意見や評価はバラつきます。
「人」への意見や評価も同様です。基本的には以下のような割合で、3つの異なる評価をされます。
- 2割の人から「肯定的(好意的)」
- 6割の人から「どちらでもない(状況による)」
- 2割の人から「否定的」
これは、おおむね上記のような割合で、「好み」や「価値観」が自分と「合う人・どちらでもない人・合わない人」が存在するためです。
「好み」や「価値観」が合う人、ざっくり言うと「相性」がいい人は、自分の「良い点」に自然と注目してくれるため、好意的な評価をされやすいです。相性が悪い人は、その反対です。
このように、ほとんどの意見や評価は「主観」かつ「なんとなく」で、要はお互いの「相性」に応じて下されているため、自分に対する「真の評価」として全面的に受け止める必要はありません。
*究極的には、「主観」を超えた「真の評価」は存在しないとも言えます。誰もが「主観」を前提に生きているからです。「客観的」とされる評価基準も、誰かしらの「主観」の影響を受けて作成されています。ただし、その場合は主観で反射的に(吟味されることなく)なされた意見や評価よりは「客観的」と言えるかもしれません。
2.3. 不可能を「可能」にしようとすれば、消耗して当然
また、もし「人の目」を「公平に」気にするなら、上記のような3つに大別される意見や評価を「すべて」考慮することになりますが、これは不可能です。
評価者の顔ぶれは変動しても、「3つに大別される(バラついた)」意見や評価をもらう点は不変です。このためどのような物であれ人であれ、100%の支持はされません。
そこにあらがって否定派(3分の1)を気にすると、ほとんどの場合で中立・肯定派(3分の2)を気にしない(無視する)ことになります。結果、新たな「否定派」を生むことになるため、キリがありません。元から「好み」や「価値観」が合わない人を気にしていれば、行動が消極的になったり、自己肯定感が下がったりする事態にもつながりかねません。
以下は、どちらも「不可能なこと」です。
- すべての人の意見・評価を気にする(考慮に入れる)
- 「否定的な意見・評価」を防ぐ
不可能を「可能」にしようとして無理をすること、具体的には「自分の本心に従う:自分本位で生きる」を制限し続けていれば、「マイナスの感情・気分」が優勢となり、クタクタになってしまいます。「不可能」を「可能」にしようとすればするほど「大損」ということです。
2.4. 法則の例外:「学校」などの特殊な環境
「3分の1の法則」にも例外があります。
その一つが「学校(小学校〜高校)」です。
学校のように「メンバーが固定された」特殊な環境では、基本的に「逃げ場」がありません。その場合、人は「自分の本心に従う:自分本位で生きる」や「自分の気持ちに正直になる」よりも「生き残る(居場所を守る)」ことを重視しがちです。
自分と相性の悪い「否定的な2割」の声が大きければ(力が強そうに見えれば)、「ふつうの相性」のはずの「中立派」の6割も生き残るためにそちらに従い、8割の「多数派」となって大きな影響力を持ちかねません。
そのような特殊な環境においては、脅威となり得る「否定的な2割」を状況によって「気にする」必要が生じます。そこで「自分の気持ちに正直になる」をつらぬくと、文字通り「村八分(仲間外れ)」にされる恐れがあるためです。
とは言え、「学校」以外のほとんどのコミュニティは出入りが自由で、このため付き合う人は自分で選べます。メンバーが流動的であれば「中立派」は6割のまま、「否定派」も2割(少数派)のままです。「影響力」も同じく2割と「ごく一部」なため、そちらを気にして「自分の本心に従う:自分本位で生きる」を制限する必要はまったくありません。むしろ「気にするだけ損」です。
3. 気にするのは「好きな人」「利害関係がある人」だけでいい
3.1. 気にすべき「相手」かつ「場面」かを考える
「否定的な意見」を防ぐことは不可能なので、「自分の本心に従う:自分本位で生きる」ほうがお得です。どちらにせよ「否定的な意見」は持たれてしまう一方で、「自分の本心」に従えば、「プラスの感情・気分」をつくることができるからです。
「幸せの極意」を再掲します。
- 現実思考をベースに、大半のことでは自分の本心に従う(自分本位で生きる)
「大半のことでは」の「大半」の目安は「7割」です。基本は「自分を優先」し、必要に応じ、残りの3割くらいは他人を優先する(自分の本心に逆らう)。
この「他人を優先する」について、「すべての人の目を気にする」「否定的な意見を防ぐ」といった「不可能」を目指すと歯が立たず、目安の「3割」もやすやすと超えるために疲れ切ってしまいます。
「人の目」は、「相手」と「場面」に応じて気にする(考慮に入れる)ことが現実的です。具体的には以下です。
【相手】意見を考慮すべき人(たち)か?
- 好きな人・大切な人か
- 「利害関係」がある人か(例:顧客や直属の上司など)
【場面】意見を聞くべきタイミングか?
- 上記の「相手」を巻き込む場面か
*上記以外の「相手」や「場面」における配慮を「ムダ」としているわけではありません。「自分の本心」に逆らうのは3割程度(ほどほど)にしたほうが「生きやすい」という考えに基づいた、「人の目を適度に(限定的に)気にする」ための一つの目安です。
意見を考慮に入れるべき「相手」であり「場面」でもあるなら、約3割の範囲内で必要に応じ気にしたり、自分よりも優先したりする。
それ以外の人の「目」は、一切気にしない。「現実思考」をベースにしているなら、最低限の配慮(法律や最低限のマナー・道徳の遵守)はすでにできているからです。
意見を気にしたり「自分の本心に従う:自分本位で生きる」を制限したりするのは、「好きな人」や「利害関係のある人」に対して、かつ「その人(たち)を巻き込む場面」でだけです。「相手」と「場面」に応じて、「約3割(ほどほど)」にとどめることが大切です。
3.2. 「いい人」が幸せになる方法:人を選ぶ
「自分より他人を優先」できてしまう「いい人」が幸せになる方法は、その個性を「誰にでも・常に」出すのではなく、「相手」や「場面」によって「出す・出さない」を調整すること。特に前者の「人を見る」ことが大事だと先生は言います。
なぜならその場合、見合った「リターン:報酬」が得られるためです。
思いやりのある人と「相性のいい人」は、同じく思いやりのある人です。お返しをし合えるために、お互いに親切心が報われます。
一方で、思いやりのある人が「ない人(=相性の悪い人)」と付き合っても、思いやった分に釣り合うだけのリターンは期待できません。要は「報酬ゼロで働く」ことと同じで、それはあくまでも「理想」や「道徳」です。「現実世界」でそれを実行した場合、報酬が見合わないために「マイナスの感情・気分」が優勢となり、疲労困憊してしまいます。
前項では、意見を気にすべき相手として、「好きな人」と「利害関係がある人」を挙げました。「リターン:報酬」の観点から言うと、特に「好きな人」には、貢献できればそれだけで「嬉しい」というリターンがあります。また「好きな人」とは多くの場合、「親切を返してくれる」人でもあります。
「利害関係がある人」からも、貢献できればもちろん(損害を「防ぐ」という消極的な意味も含めて)リターンがあります。その人(たち)の目をほどほどに気にすることには、「見合った報酬がある」ということです。
このことは、「リターンがないなら親切にしない」「自分に害がないなら何をしてもいい」といった極端な話ではありません。「自分より他人を優先」できる「いい人」が、その個性のままで幸せになるため、思いやりを生かす「相手」と「場面」を選びましょう、という提案です。
「自分より他人を優先」を出す価値のない人(=返してくれない人)には、それを出すだけ「損」になります。そのことは同時に、それを使って貢献できたかもしれない「出す価値のある人(=返してくれる人)」にとっての「損」になるとも言えます。
相性の悪い「親切を返してくれない人」より、相性のいい「返してくれる人」と思いやり合える関係性を築いたほうが、ずっと「楽」で、「楽しい」です。人の時間・労力・気力は「有限」なので、使い道を熟慮することは必要です。
3.3. 「声の大きな少数者」のため本心に逆らうのは「大損」
現実思考で常に自己チェックをしているのなら、否定的な意見は「声の大きな少数者(約2割)」の意見であって「多数派」ではありません。
それらをうのみにするのではなく、現実思考で照らして「一理ある」と思われる部分があれば考慮に入れ、活用すればいいだけです。
例えば「チャレンジして(一時にせよ)失敗した人をバカにする」ことは、道徳的に優れた行為ではありません。実際にそれを行う人は、「ごく少数派」だと思います。
にもかかわらず、挑戦するに際しては、そうした「声の大きな少数派」の意見や評価を気にしてしまう。
自分でも「失敗した人は恥ずかしい人」と心の底から思っているなら気にしてしまうのは「妥当」ですが、そうではないなら「不当」です。そのために本心に逆らい「マイナスの感情・気分」をつくること(かつ、つくれたはずの「プラスの感情・気分」をふいにすること)は「大損」です。
「付き合いたい」とも「つながりたい」とも思わない人の目を気にして、「自分の本心」に逆らう利点はほぼありません。「声の大きな少数者」は、実際の「影響力」も「ごく一部(少数派)」です。私的な関係なら付き合いをやめればよく、公的なら「必要最小限」の関わり方へと切り替える。
基本は「自分の本心」に従い、必要に応じて「好きな人」や「利害関係がある人」を優先する生き方のほうが「楽」で、「楽しい」です。「プラスの感情・気分」をつくり続けることができるためです。
4. 余談:相性について
4.1. 「自分本位」に生きると「相性」がわかる
「人の目」を気にして制限をかけず、現実思考で「やってOK」なら「自分の本心に従う:自分本位で生きる」。そうやって「プラスの感情・気分」でいると、パフォーマンスは向上し、持続的に自己成長できます。気持ちに余裕が生まれるため、良好な人間関係も築きやすくなる。
さらには、そのようにして「自然体」の自分を出すと、人との「相性」が判断しやすいという利点も生まれます。
好意的な意見や評価をくれる人とは、基本的に自分と「好み」や「価値観」が合う人です。「素の自分」に対しどのような意見や評価を持つかによって「相性の合う人」をふるいに掛けられる、ということです。
「否定的な意見」はどちらにせよ防げないため、「自分の本心に従う:自分本位で生きる」ほうがお得です。
現実思考をベースに(法律や最低限のマナー・道徳は遵守)できているなら、否定されたり嫌われたりしても、「(相性の悪い)3分の1の人なんだな、仕方ない」「相性を見極める手間が省けた」と考え、残り3分の2の人たち(特に「好きな人」たち)と付き合って絆を深める。「好きな人」や「利害関係がある人」から肯定されているのなら、「それでいい」と割り切る。
本心に逆らわなければ(無理をしなければ)よく思われないのなら、その人とは「相性が合わない」ということです。ほぼ確実に無理がきかなくなり、関係性は崩れます。その場合、どちらにとっても時間・労力・気力・お金などの「損」となってしまいます。
自分や相手が変わることで「相性」も変わり得るため、「あの人とは相性が悪い」と決めつける必要はありません。ですが「現実思考」ベースで最低限の配慮をしても否定されたり嫌われたりしてしまうなら、「割り切る」ことも大切です。
4.2. 相性の悪い人には「なぜ?」を感じやすい
人の言動に対して「なぜこんなことをする(言う)んだろう?」と思うのは、その人との「相性が悪い」サインかもしれない、と先生は言います。そういった「違和感」の原因は、相手と自分との「価値観」や「考え方」の「違い」かもしれないためです。
相性がいい人に対しては、お互いの「当たり前」の共通部分が多いため、言動への「なぜ?」をそもそも感じにくいです。「なぜ?」と頻繁に考える時点で、その人との「価値観」や「考え方」は自分と大きく異なっている、つまりは「相性が悪い」という理屈です。
「価値観」や「考え方」が違っている場合、言動の理由を「なぜ?」と考えても、わからないことが多いです。仮にわかったとしても、自分がコントロールできる範囲は限られます。違和感を抱く相手の言動については、「なぜ?」と考え込んでも基本的にリターンは少ない、ということです。
4.3. 「不当な批判」をされたときは「相手にしないこと」
先生曰く、「不当な批判をされたときには、『相手にしないこと』がいちばん」。
反論をすることは、ある意味「相手をかまう」ことです。活躍の場を与えてしまい、相手をいっそう勢いづかせる事態にもつながりかねません。
「不当な批判」をされた場合、相手の目的は自分にとっての「正しさ」や自分の優位性を「証明すること」であるため、理屈で応じても不毛です。目的が「理解し合うこと」や「議論によって考えを深めること」ではないからです。
悪意を感じるような言動をされたとき、「なぜ?」と考えると気分が落ち込みます。ですが「好きな人」や「利害関係がある人」以外に対して、言動の理由を考えることで「マイナスの感情・気分」を感じたり、モチベーションを下げたりすることは「大損」です。上記や前項で述べた理由から、見合ったリターンを得ることは期待できないためです。
限りある時間・労力・気力は、「自分」や自分の「好きな人」「利害関係がある人」に対して、有意義に使うことが大切です。
5. 先生の言葉:「嫌いなら食べなければいいでしょ」なスタンスでいい
以下は、先生の言葉です。
例えば「究極のラーメン」をつくろうと決意したとします。そこでいろいろな人の「意見」を聞いていたらキリがありませんし、自分の「個性」や「本心」を曲げることになれば、苦痛も感じます。それだけのことをしても、本当に「究極のラーメン」がつくれるとは限らない。
どんな店でも、よっぽど手抜きをしなければ常連さんはつきます。
自分の本心や個性・スタンスを大事にしてやっていく。場面によって、自分にとって大切な人の目だけを適度に考える。…とはいえ、大切な人はたいてい自分と「相性がいい人」なので、本心に従っていても、そうそう否定的な意見は持たれないものです。
「この味が嫌いなら食べなければいいでしょ」なスタンスでいい。
「人の目」って、「そんなもん」なんですよ。
共感する名言 / 本の一節
①樺沢紫苑『精神科医が教える ストレスフリー超大全』
「嫌い1、好意2、中立7」。これを「好意の1対2対7の法則」と呼びましょう。(略)あなたを嫌う人の2倍、好意的な人がいるし、まったく嫌っていない人がその7倍もいるのです。(略)あなたは「嫌いな1割」の人に迎合することを優先し、その他の人を犠牲にするのですか。それとも、あなたのことを大好きな2割の人を大切にして生きますか。どちらが幸せに生きられるかは歴然としています。
「1対2対7の法則」をイメージするだけで、「自分には味方がいる!」ということが明確になり、勇気が湧いてくるのです。
(p.72-73)
*本書では、「3分の1の法則」と共通する内容が「好意の1対2対7の法則」として紹介されています。加えて、人から嫌われないようにすることは「自分を殺すこと」「『偽りの自分』を生きること」であるという一節や、「自分を抑圧して生きることを長く続けるとストレスになり、結果として、楽しい人生を送れません」(p.76)という一節も印象に残りました。
②精神科医Tomy『精神科医Tomyが教える 1秒で不安が吹き飛ぶ言葉』
他人のことを気にしない方法。
逆説的だけど
「気にするべき人を選抜する」
のがいいと思うわ。
自分の状況をよくわかっている人、
真摯に向き合ってくれる人、思慮深い人、誠実な人。
気にする価値のある人の方がよっぽど少ない。
だから気にする人を選んで、
その人の言動だけチェックするの。
(p.52)
*「分け隔てなく」といった道徳心(理想)を持っていると、「人を選抜する」発想にはためらわれるかもしれません。ですが現実的には必要なことと感じます。かわいいイラストと1ページにつき1テーマの構成で、とても読みやすかったです。
今回は以上です。
読んでくださってありがとうございました!
<今日のISSEKI>
「現実思考」ベースなら、法律や最低限のマナー・道徳はクリアしている。
あとは「好きな人」や「利害関係がある人」だけを、適度に気にする。