前回記事にてご紹介した
- 「ゆるめる」と「律する」のバランスが大切
という大前提ですが、これが本当に「腹落ち」したのは受講中のプログラミングスクール「テックキャンプ」の学習経験を通してでした。
*前回の記事
「ゆるめる」と「律する」のバランスは人生における重要なポイント。ですが「目標達成」に際しても必要な考え方だと思います。
その点について、「認知行動療法」のカウンセリングで得た「学び」や、関連する(私が共感する)名言をご紹介しつつ、考えをまとめます。
お役に立てれば幸いです!
【注意】
「カウンセリングで得た学び」は個人的に(カウンセリングの受け手として)得たものです。筆者は「認知行動療法」を専門的に学んだわけではありません。その部分は「ご参考まで」でお願いいたします。
目次
プログラミング学習で得た「気づき」
目標達成(成果)を望むからこそ、成果より「継続」にフォーカス
- 目標達成(成果)を見据えた「継続」にフォーカスすること
- そのほうが楽だし、楽しくなりやすい
理由① 「継続」はコントロール可能だから
大きな目標は「達成可能性」が曖昧になりがち。極端に言うと「宝くじ」みたいなものです。
一方で「継続」は、「目標達成(成果)」に比べると自己コントロールがずっと容易です。ひとまずは、とにかくやればいい。
自分が「達成できる/できない」を考えて不安な毎日を送るよりも、「今日取り組めるか/できないか」「できないとしたら、どうすればできるか」を考えるほうが賢明です。
理由② 手段や効率より「自分の感情」を重視できるようになるから
「継続」にフォーカスすると、重点がおのずと「自分の感情」に置かれるようになります。
一方で目標達成(成果)にフォーカスすれば、より効率のいい「手段」を重視するのが自然です。
そしてそうすることの問題は、「目標達成(成果)」のための
「普遍で万能な手段=ゴールデンルール」が「無い」こと、
厳密に言うと「それが今の私に守れる(実行できる)とは限らない」ことです。
The golden rule is that there are no golden rules.
黄金律はないということが黄金律である。
(バーナード・ショー)
成功体験だったり科学的なデータに基づいていたり、テクニックや方法論などの「手段」はいくらでも見つかります。ただし、それが必ずしも「今の私に守れる(実行できる)」とは限らない。
それなのにそれを「ゴールデンルール」だと思ってしまうと、「自分にはできそうもない」とやる前からあきらめてしまったり、挑戦しても「(ルールを)守れなかったから」と投げ出したりといった残念な事態になりかねません。
実際には、ある人が「前向きに守れない」時点でそれはその人にとっての「ゴールデンルール」ではなくなるのだと思います。また大半の場合、それだけが目標達成の「唯一の手段」というわけでもない。
「ゴールデンルール」に則れないことを理由に「目標達成(成果)」をあきらめたり意欲を損ねたりするのはもったいないです。
ゴールデンルールを探していて、実際の行動が遅れたり、減じたりするリスクもあります。
翻ってハッキリと存在するのは、「やり続ける」という「最低条件」です。
「目標達成の極意(ゴールデンルール)」は、目標が高いほど不明瞭で掴みどころが無くなります。ですが「最低条件」は違う。
前述で例えた「宝くじ」が「買わなきゃ当たらない」ことと同様です。「目標達成(成果)」も、「続けなきゃ当たらない(達成しない)」。
目標達成を見すえつつも、だからこそ「最低条件(継続)をどうクリアするか」を考えたほうが建設的です。自分にとっての「少額」でも「買い続ける」「ベットし続ける」ことが重要だと思います。
*余談です。
「幸せを感じる」についても、最低条件である「生きる(生き続ける)」に焦点を当てることがポイントかなと思いました。
理由③ 小さな「成果」「達成感」が得られやすくなるから
「目標達成(成果)」を実感できるのは「一瞬」です。
何かを「達成」すると遅かれ早かれ「次なる目標」が見えてくるもので、「達成の喜び」を感じられるのは全体から見ればほんの一瞬。そうなると、それ以外のほとんどの時間は「未達」「不満足」な状態になりかねない。
だから「目標達成(成果)」以上に「継続」にフォーカスする。「続ける」という小さい目標が加わることで、日々「目標達成(成果)」を実感できます。切羽詰まった状態では幸福感も得にくいですが、気持ちに余裕があれば小さな幸せにも目がいきます。
人生をプロジェクト化すると良くないのは、人生が単なる手段になってしまうからだ。もはや人生を生きるのではなく、なにかを得るために人生を利用することになる。(中略)最終的な結果にばかり目を向けていると、日常の小さな輝きを見落としてしまう。本当はそれこそが人生を生きる意味のあるものにしてくれるのに。
(プロジェクトではなく物語のような人生を)(p.219)
理由④ そのほうが楽だし、楽しくもなりやすいから
- より「コントロール可能」な対象に注力する
- 「手段」や「効率」よりも「自分の感情」を重視する
- 小さな「成果」「達成感」を得られやすくする
上記のやり方のほうが楽ですし、「楽しさ」も感じやすくなる(見えてくる)と思います。
「楽しめば続くのはわかるけど、それができない」と折に触れ考えていましたが、それは「継続」ではなく「目標達成(成果)」にフォーカスしていたからだと気がつきました。「楽しむには」よりも「続けるには」のほうが、個人的には考えやすいです。
短期的に見たときの「効率」「成果」は芳しくないように思えたとしても、「目標達成を見すえた継続」で気楽に、できれば楽しく。
ともかく、私が陥りがちな「やる前からあきらめる」「本当はやりたいのに途中で投げ出す」は防ぎたいなと思います。
そのためのアクション・プラン(私の場合)
1. 「不完全」を受け入れる
- ヘタ・不恰好・月並み・遠回り・効率悪い…「ダメ」と思ってもやる
- できれば、その「即興性」「ライブ感」を愛す
以下は、カウンセリングで先生に言われた言葉です。
完璧を求めると、何もできなく(やらなく)なります。
そして、律しても律していなくても、周りから見ると大差はないです。
特に2行目はグサリときました。
プログラミングもブログも、私は真剣になるほど「深刻」に注力してしまいます。
完璧主義(ゼロ百思考)な面がまだまだ強いので、何かと極端な二択で考えがち。
- 早起きしたかったのにできないと「その日はダメ」
- 良さそうな本を「経典」みたいに完璧に守らなきゃと思う
- 生きるか死ぬか、「全力でやる」か「リセットする(投げ出す)」か
上記の状態だったので、生きづらいのは当然でした。
前回記事でも書きましたが、
- 「完璧」と思っても、自分がそう思っているだけ(悪い言い方をすると自己満足)
です。
仕事や学業など目標がわかりやすい場面を除くと、結局は「私が想定する・一般的に良い」を目指すことになります。これではただの「自己満足」です。
ブログもそうです。「完璧ではない」と思っても、「最善」と思って投稿してみると「悪くない」と思えるようになることもある。
手持ちの材料を全部さらって盛り込めてはいない、取りこぼしもあるし、納得できる切り口・構成・情報量・表現ではない。
また、時間を掛ければ掛けるほど知識や経験が増えるので「待てば待つほど良くなる」考え方も成り立つ。
それでも書くことで思いもよらない展開や結論になることがあり、少なくとも頭で思考しているだけの状態よりグッと深く、濃い考えにできます。
そして、たとえ私の思う「完璧」でなくても、誰かの「必要十分」にはなり得る。
目標達成(成果)を見すえつつも「継続」にフォーカスをして、理想に満たない「不完全」な部分を受け入れる。
その最善主義こそ、奇しくも「完璧主義の健全な実践方法」だと今は考えています。
「バランスが大切」です。
- 最善主義と完璧主義は同じもの(目標達成に向けた取り組み)
- より「継続」にフォーカス→最善主義
- より「目標達成(成果)」にフォーカス→完璧主義
- 単なる最善主義は、お気楽で無思慮とも言える
- 完璧主義だけでは辛いし、結局は「自己満足」
2. 「継続」のため、「後ずさり」「休む」「遊ぶ」も取り入れる
理由は一言です。
- 自分の本心に反する(無理をする)ことは、続かないから
*関連:「大前提1. 幸せになる極意は、『自分の本心』に従うこと」
以前の私には「注力以外はムダ」という偏った発想があり、休んだり遊んだりすることに罪悪感を覚えていました。
ただ、それでは続くものも続きません。
プログラミング学習も、わからないところを調べ出したら本当にキリがないので、戦略的に「後ずさり」することを覚えました。
ネットの記事はわからなかったら飛ばす、できるやり方で記述する、調べる気力があれば調べる、できそうなところからやる…などです。
「注力」していても、「マイナスの感情」を強めに感じたらいったん「引く」。それが不要と考えたわけでも、一生やらないと決めたわけでもありません。
目標達成(成果)に向けて「注力し続ける(律する)」ために、「休む(ゆるめる)」のです。
「継続の大切さ」を教えてくれる素敵な「名言」3つ
①ミヒャエル・エンデ 『モモ』
*道路掃除夫・ベッポの言葉
とっても長い道路を受けもつことがよくあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。
そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。こういうやりかたは、いかんのだ。
いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな? つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸(いき)のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。
するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。(中略)ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終わっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからん。
これがだいじなんだ。
②レイモンド・チャンドラー 『ロング・グッドバイ』
*チャンドラーの「手紙」より(p.628)
作家を職業とするものにとって重要なのは、少なくとも1日に4時間くらいは、書くことのほかには何もしないという時間を設定することです。べつに書かなくてもいいのです。
書くか、まったく何もしないかのどちらかです。
この方法はうまくいきます。ルールはふたつだけ、とても単純です。 (a)むりに書く必要はない。 (b)ほかのことをしてはいけない。あとのことは勝手になんとでもなっていきます。
③フォースター
*巻頭の言葉
Only Connect…
ただ結びつけることさえすれば…
*厳密には「継続」を主眼とした言葉ではないと思われますが、「困難に対して試み続ける」という根源的な共通項を感じたため、引用させていただきます。
*本来の意図は、以下の一文に近いのだろうと解釈しています。
いつも最初の石を投げたがるのは、ものごとを結びつけて考えることができない人たちなのである。
終わりに
「注力」だけが「目標達成のための行動」と考えて、「やること」を減らしたり休んだりといった「ゆるめる」ことに、強い抵抗を感じていました。
また、わかりやすい「成果」が出ていないと自責し、いちいちモチベーションを下げていました。
それだと続かない。投げ出したくなってしまいます。
「律するーゆるめる」「注力ー休む」「目標達成(成果)ー継続」のバランスを取ること、うまく折り合いをつけることが重要だなと思います。
最後に身も蓋もないことを言いますが、それでもし「目標達成」できなかったとしても、楽に、かつ楽しく取り組んでいたなら「まあいいか」と開き直りやすいとも思います。
読んでくださってありがとうございました!
<今日のISSEKI>
目標達成(成果)を見すえた「継続」にフォーカス。
継続するための「ゆるめる」も「成果に向けた行動」の大切な一環。