受講していたプログラミングスクール「テックキャンプ」を卒業し、時間がたくさんできました。転職に向けて動き出す前に、一つの区切りとして、これまでのカウンセリングで得た「学び」をまとめたいと思います。
カウンセリングは2019年7月から受け始め、これまでに1回90分を84回。
120時間以上の学びを整理し、凝縮してアウトプットします。
「自分を変えたい」と漠然と(または真剣に)思ったことのある方へ!
生きづらさを解消し、豊かに生きるための一助となれれば幸いです。
【注意】
以下は個人的なカウンセリング記録のノートをもとにまとめたものです。筆者は「認知行動療法」を専門的に学んだわけではなく、正確な解釈をし損ねている恐れもあります。あくまで「個人の意見」「ご参考まで」ということでお願い致します。
目次
- 1. 「現実思考」とは:「証拠や根拠があること」を重視
- 2. なぜ大原則なのか:「より良く生きる方法」の一つ
- 3. 「わかり得ない」からこそ、磨き続ける
- 共感する名言 / 本の一節
- <今日のISSEKI>
【本記事のポイント】
- 認知行動療法の大原則は、「現実思考」
- 「現実思考」とは、言葉の通り「現実的な考え」または「現実的に考えること」
- 重要視される理由は、それが妥当な「より良く生きる方法」の一つだから
- 現実思考に「正解」は存在しない。「磨き続ける」ことが重要
1. 「現実思考」とは:「証拠や根拠があること」を重視
認知行動療法で用いられるのは「現実思考」です。
「現実思考」とは、言葉の通り「現実的な考え」または「現実的に考えること」を指します。
イメージは以下です。
- 視点:中立、公正、客観的、プラス面もマイナス面も見る
- 考え:論理的、合理的、理性的、冷静、「証拠や根拠があるか」を考える
「現実思考かどうか」を見極めるポイントは、自分の考えを裏付けられる「証拠や根拠があること」です。
これらの点は、認知行動療法の「大原則」として、初回カウンセリングの冒頭で先生から教えられました。
2. なぜ大原則なのか:「より良く生きる方法」の一つ
「現実思考」が大原則とされる理由は、以下の点にあると私は捉えています。
- 私たちが生きているのは現実の世界なので、現実的に考えなければ、適切な反応・選択・行動が取れないから
- つまり現実思考をベースにして生きることが、より良く生きる(適切な反応・選択・行動を取る)ことにつながるから
物事には、必ずプラス面とマイナス面が存在します。先の章で説明したように、現実思考では、そのどちらをも考慮に入れて考えます。
単なるネガティブ(マイナス面だけを見る)では生き方が消極的になり、パフォーマンスも下がります。感情・気分がマイナスになるので、メンタルを病む一因にもなってしまう。
一方で、ポジティブなだけ(プラス面だけを見る)では、現実的に妥当な選択や行動が取れない恐れがあります。リスクを軽視することにもなりかねません。
「現実思考」をベースにすることで、物事への適切な反応や、建設的な選択・行動が可能となり、それは以下へとつながっていきます。
- 持続的な「プラスの感情・気分」
- 主体的・能動的な「生き方」
- より良い「自分」かつ「人生」
3. 「わかり得ない」からこそ、磨き続ける
「現実思考」のデメリット(と捉えてしまいがちな側面)は、たいていの場合で「絶対的な『正解』が存在しないこと」だと私は考えています。
厳密に言うと、「現実思考」とは、あくまで「その時・その人が導き出したベストな(可能な限りの)現実的な思考」のことを指します。
以下のように現実思考(=理詰め)で考えれば、実際には「わかり得ないこと」「決めきれないこと」「不確かなこと」つまりは「絶対的な『正解』は存在しない」ことがほとんどだからです。
- 本質的には、何事にもプラスの面(解釈)とマイナスの面(解釈)があるので、「良い/悪い」や「正解/不正解」の二項対立では判断できない
- 判断するための「情報」や「視点」は無数に存在し、それらすべてを考慮に入れることはできない
- ほとんどの場合で、その正確性を検証しようがない(あるいは検証していたらキリがない)
- そもそも「一人の人間(主観で生きている存在)」である以上、厳密な意味での「客観的な解釈」はあり得ない
ただし、この「わかり得ない」側面こそが現実思考の「良さ」だと私は思っています。以下のように捉えることも可能だからです。
- 「正解はない」から、柔軟に考えられる
- 「完全な間違い」を恐れなくてもいい(適切ではなかったとしても、「現実思考を改善すればいいだけ」と思える)
- 現実思考をベースに、主体的に、自由に決められる
- 「改善」を繰り返すことで、現実思考の精度は上げられる
「自分なりの現実思考で考え、選択する」ことは、実際にはすでにやっていること、やり続けてきていることです。
そこをあえて意識することで、自分なりの「現実思考」の精度は意図的に上げていくことが可能です。「現実的に妥当か?」「視点は公正か?」と振り返ってみることで、自分が予想外にとらわれている思考のクセ(習慣)に気づく「きっかけ」となり得るからです。
絶対的な「正解」を探していると、いつまでも選択(決断)できません。どの選択(解釈)においても一理はあるかもしれませんが、「一理しかない」からです。時間を置かないと結果が判定できない、「やってみないとわからない」場面も多々あります。
それでも自分なりの「現実思考」を磨き続けていけば、「より良い(と自分が思える)」選択の頻度や、その再現性は向上していきます。
自分なりの「現実思考」を磨き続けること。
それを、より良い生き方、より良い自分への「変化」につなげていくこと。
以上は、この現実を生きていくための「着実な努力」の一つであり、生きづらさを解消し、豊かに生きるための一助になると、私は考えています。
共感する名言 / 本の一節
ヘルマン・ヘッセ『ヘッセ詩集』
*結びの一文が特に印象的です。
「自分の力=考えの偏りや、辛くてもそれを持ち続けられてしまう強さ」が苦しみをつくっているという、「認知行動療法」的な解釈もできるのではと思います。
(略)
私は無言の情熱だ。
家ではかまどがなく、戦争では剣を持たない。
自分の力のために病んでいる。(「私は星だ」より)
今回は以上です。
読んでくださってありがとうございました!
<今日のISSEKI>
実践によって、自分なりの「現実思考」を磨き続ける。