ISSEKI

「生きてよかった」を追求中。本・認知行動療法・プログラミング(学習)について発信します。

「認知行動療法」カウンセリング記録。「自分の本心がわからない」は誤解。そのシンプルな見分け方

 

前回に引き続き、「認知行動療法」のカウンセリングで得た、「気づき」や「見識」をまとめます。

お役に立てれば幸いです。

*カウンセリングは、2019年7月から受けています。

 

(前回記事の結び)

それで「マイナスの感情」になるなら、それは「不必要な自己評価」→不要なので捨てる
 

という考え方もあります。

なぜなら、それは「自分の本心ではない」から。

 

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【注意】

個人的なカウンセリング内容の記録です。正確な解釈をし損ねている恐れもありますので、「ご参考まで」でお願いいたします。

 

目次

 

大前提

幸せになる極意は、「自分の本心」に従うこと(*前回記事と重複)
  • 幸せになるのは簡単。「自分の本心」に従えばいい
  • 本心に従えない/逆らってしまう原因は、「認知の歪み」
  • その「歪み」を「現実思考(客観的に妥当な思考)」へと修正することが、カウンセリングの一つの役割

 

本題

1. 自分の「本心」がわからなかった私

 

  • ベッドから出たくない、でも眠たくもない
  • 外出したくない、でも人生がつまらない
  • 人と関わりたくない、でも寂しい(必要とされたい)
  • 変わるのは無理だと思う、でも現状のままは嫌
  • 生きていたくない、でも死にたくない(死ぬのは怖い)
  • カウンセリングは受けたくない、でも生きづらさを解消して楽に生きたい

 

これらのほとんど(最後以外)は気を抜くと今でも考えがちな、矛盾する思考です。

 

上記の「大前提」で述べたように、幸せになる極意は「自分の本心」に従うこと。

 

でもその「本心」がわからない。

相反する考えが浮かんで、結局は「いつも通り」の選択をしてしまう。

それで何も変わらない、あるいは状況が悪化する。ときにうっすら、ときに強くなる「不幸感」が消えてくれない…そんなことの繰り返しでした。

 

 

2. 「自分の本心がわからない」原因は?

それは、

  • 「本当の自分/本心の考え」
  • 「病気/トラウマの考え」

 

これら2つの考えの「区別ができていないから」でした。

 

上記の例でいうと前者が「病気/トラウマの考え」、後者が「本当の自分/本心の考え」です。

これらを「どちらも本心」だと混同して、たいてい前者を優先していた(「本心」に逆らっていた)から、私は不幸だったのです。

 

3. プラスの感情になるなら、それこそが「本当の自分/本心の考え」
  • 人間は必ず、自分にとっての「プラス」を望む
  • 病気/トラウマはその逆。自分にとっての「マイナス」を望む(だからメンタルが不調になる)
  • であるならば、「病気/トラウマの考え」は「自分以外=他人の考え
  • 自分の人生に「他人の考え」を入れる必要はない(入れても「参考程度」)

 

人間は、自分にとって「プラス」になることしか望まない。

「笑っていたい」「楽しく生きたい」「楽をしたい」「得をしたい」「自己評価を上げたい」と願って生きるもの。

 

だから自分にとっての「マイナス」感情につながる思考は、すべて「自分以外=他人」つまり「病気/トラウマ」の思考である。それらは「無視してもいいもの」

 

これは衝撃でした。それが本当なら、私が普段考えていること、そのほぼ全てが「病気/トラウマの考え」ということになります。

 

 

4. 「病気/トラウマの考え」は、なぜ強くて逆らいがたいのか
  • それは「その方法で自分を守れる」と信じているから
  • 「病気/トラウマの考え」は、消されないよう抵抗している
  • だけど「本心」は違う。それらが「対立」するから苦しい

 

私が「生きづらさ」を感じ始めたのは、中学校からです。「いじめにあった」とか強いきっかけらしいものはなくて、ただ学校という「集団」に馴染めなかった、その中で生きることが苦痛に感じられた。

 

中学・高校時代においては、「自分に価値を置かない」というような「病気/トラウマの考え」はある程度は正解(有効)だったし、「認知の歪み」とも言い切れなかったと思います。

 

なぜなら結果、私は生き残れたから。

その考えを持たずにいたら、もしかしたら集団の中で「孤立」や「いじめ」にあっていたかもしれない。世界が狭いため、「生き残ること」が今以上に死活問題だった(死活問題だと「思い込んでいた」)学生時代です。本心を押し殺す辛さはあっても、それが最善策でなくても、とにかくそれで生き残ることはできました。

 

「でも」今は違う。

  • 今は「学校」という「特殊な環境」にはいない
  • 「声の大きい少数派(20%)」の意見は「20%」のまま
  • 残り80%の人は(程度の差はあれ)公平に判断してくれる
  • そのうち20%の人は、とても好意的に評価してくれる

 

だから、私の気分を下げる「病気/トラウマの考え」は、もう捨てていい。

 

 

5.  ではどうすればいいのか。「気づけた」なら変えられる

 

まとめると、

  • 「病気/トラウマの考え」は「他人の考え」
  • 自分の人生に「他人の考え」を入れる必要はない(入れても「参考程度」)
  • それで「マイナスの感情」になるなら、それは「不必要な考え」
  • (なぜなら、それは「自分の本心ではない」から)
  • 同様に、自分の気分を下げるような「自己評価」も「いらない」
  • (なぜなら、それは本心からの「自己評価」ではないから)

 

アクションプランとしては

  • それを考えることで「プラス」と「マイナス」どちらの感情になるか?
  • プラス → 自分の考え(本心) → 受け入れる
  • マイナス → 他人の考え(病気/トラウマの考え)→思い切って逆らう、捨てる
  • 考えを押し切れないときは、「これが(私ではなく)他人のことでもそう思うか」(二重基準でないか検証)
  • 二重基準なら、その評価は「認知の歪み(真実ではない)」→不要なので捨てる
  • それでも押し切れない考えは、カウンセリングで解きほぐす
  • この繰り返しで、最終的には後者を「鎮圧」する!

 

楽しく幸せに生きるため、「本心に従う」を実践したい。でもその「本心」に一貫性がないために、新しい行動へと踏み出せずにいました。

 

でも実は「本心」は一貫していて、ただ私が「病気/トラウマの考え」をも「本心」と錯覚していただけのことでした。

 

カウンセリングでこの内容を扱ったのは最近(1/15(土))なので今でも基本は「病気/トラウマの考え」が優勢です。浮かぶ回数は多いし、わかっていても振り払えずに荒れてしまうことも多い。

 

「やりたいことがない/わからない」ともときどき思います。でもそれは本心ではなくて、「やりたくない(やるのが怖い)」という「病気/トラウマの考え」を払拭していくことで、何か見えてくるのではないかな(見えてきてくれ)と思っています。

 

中学校時代からのことなので、「一朝一夕にはいかない」と腹を括るほうが良さそうです。「少しずつ」改善していきたいと思っています。


以上です。

読んでくださってありがとうございました!

 

 

<今日のISSEKI>

「マイナスの感情」になるなら、それは自分の「本心」ではない。

自分の人生に「他人の考え」は不要。捨てていい。