本記事では、筆者の大好きなイギリスのミステリ作家「アガサ・クリスティー」が、その作品内で「日本」関連の事物に触れている箇所をまとめます。
きっかけは、ひと昔前、新卒で就いた仕事をスピード退職したこと。
自己嫌悪ですっかり塞ぎこみ、再就職はもちろん、カウンセリングや自己分析など、内面と向き合う行動すら起こせない時期が長くありました。そんな状況から目を背けたい気持ちも手伝って、もとより好きだった「読書」に没頭します。
とりわけ夢中になったのが、アガサ・クリスティーの作品群です。
そして、どこかの段階でふと思い立ち、クリスティーが「日本」や日本関連の事物に触れている一節を拾い集めるようになりました。就職活動もせず、主に現実逃避のためにひたすら本を読む。そんな、当時の筆者にとっては「無意味」な毎日に、何かしらの「張り合い」を求めたのだろうと思います。
早川書房の「クリスティー文庫」の刊行数は、クリスティー本人の著作に絞ると、2024年5月22日現在で99点。
それらすべてから拾い集めた「日本」関連の事物への言及箇所を、筆者が思うクリスティー作品の「魅力」や、読書経験から得た「気づき」と合わせてまとめます。
言及箇所の抜け漏れはあり得ますし、興味のある方がいるかも不明です。とは言え、これは当時の筆者が得ることのできた、数少ない成果の一つ。それを活用したいという「もったいない」精神から、記事にさせていただきます。
お役に立てれば幸いです!
目次
なぜアガサ・クリスティーだったのか:筆者にとっての魅力
「日本」への言及箇所をまとめるだけでは味気ないので、当時の著者がとりわけクリスティー作品に惹かれた理由を考察します。
現実を忘れる手段として「本を読むこと」は定番です。とは言え、数ある本のなかで、なぜアガサ・クリスティー作品だったのか。
その答えは、以下4点をはじめとした「魅力」にあると考えます。
- 無理なく読める:わかりやすい文体、穏健な描写
- 「わくわく感」がある:憧れの世界観、興味をそそる「謎」
- 「癒し」や「励まし」がある:心に響く言葉の宝庫
- 手に入る作品数が多い:「クリスティー文庫」は100冊以上
ある対象に「魅力を感じるか否か」には個人差があります。このため、上記4点の「魅力」は、アガサ・クリスティー作品の「特徴」と言ったほうが正しいかもしれません。
「偶然」の要素もおそらくはあったにせよ、全作品を読破するほど夢中になったクリスティー作品の「特徴」とは何か。そして、それらは「筆者にとって」どんなふうに魅力的だったのか。詳しくご紹介します。
①無理なく読める:わかりやすい文体、穏健な描写
筆者にとっての「クリスティー作品の魅力」1点目は、「無理なく読める」こと。言い換えれば、「読むうえでのストレスが少ない」ということです。
具体例は、以下の3点です。
- わかりやすい文体で、会話文が多い。かつ、長編すぎないので読みやすい
- 暴力の描写がほとんどないので、厭世的にならずに済む
- 異なる国・時代の物語なので、登場人物に嫉妬しづらい
クリスティー作品に読み耽っていた当時の筆者にとっては、とりわけ2点目と3点目が重要でした。
精神的に弱っていたので、「悲惨さ」や「残酷さ」が緻密に表現されている作品を読むと、生きることに対していっそう絶望してしまう。
あるいは、作品内に自分と似た境遇の登場人物がいた場合、「この人はきちんと働いている」「結婚をしている」「子育てをしている」などといった「比較」をし、必要もないのに落ち込んでしまう。
上記どちらの点から言っても、クリスティーの作品は「低刺激」で、無理なく読むことができます。
殺人をはじめとした「犯罪」という強烈な要素を扱ってはいるものの、残虐な描写はほぼありません。人間や社会の暗黒面については、触れられたとしてもごく控えめ。性的な表現についても同様です。
また、舞台となる「国」も「時代」も異なるために、登場人物と自分との「比較」がしづらく、結果として嫉妬や自己嫌悪が生まれにくい、という意味での「無理のなさ」もあります。当時の筆者が「日本」の「現代小説」を読んでいたとしたら、登場人物との共通点が増えて「比較」がしやすくなるために、自分に「ない」ものを見出しては不必要に消耗していたと思います。
②「わくわく感」がある:憧れの世界観、興味をそそる「謎」
筆者にとっての「クリスティー作品の魅力」2点目は、以下の要素がもたらしてくれる「喜び」や「わくわく感」があることです。
- 憧れの舞台設定(時代・場所)
- 興味をそそる「謎」
アガサ・クリスティーは1890年(明治23年)生まれ。
その物語は、紳士淑女、執事やメイド、伝統あるお屋敷に優雅なティータイムといった、筆者憧れの英国文化を下地にしています。
物語が繰り広げられる場所は、「イギリス国内」なら首都ロンドン、または、絵のように美しい田舎町。「海外」の場合は、中東や人気のリゾート地。列車や船、飛行機など、交通機関で展開することもあります。
この時代的・場所的な目新しさは、それらに対する憧れの気持ちと相まって、ファンタジー小説を読んでいるかのような「高揚感」や「没入感」を与えてくれます。
*クリスティーのノン・ミステリ(一般小説)においても、この魅力は健在です。
加えて、上記の舞台で発生するのは、心をくすぐる不可解な事件。結末を知りたくなるような「謎」がタイトルや導入部分といった早い段階で提示され、物語世界へと強烈に誘い込まれます。
好奇心をくすぐる「謎」の一例は、『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?』。
読むだけで興味をそそるタイトルです。実際に、筆者はこのタイトルに惹かれ、初のクリスティー作品となる本書を手に取りました。そして読み始めて止まらなくなり、深夜までかけて「一気読み」した覚えがあります。
別の例としては、『予告殺人』。
物語は、「殺人お知らせ申しあげます。10月29日金曜日、午後6時30分より……」という新聞の個人広告欄を目にした登場人物たちの朝食の風景から始まります。単なるいたずらか、それとも……と、わくわくすると同時に、10人を超える登場人物たちの個性が自然とのみこめる、巧みな幕開けです。
*ちなみに『予告殺人』は、筆者にとって最も思い入れのある作品です。クリスティー作品中で唯一、「犯人が別の人であったら」あるいは「犯人が見逃してもらえていたら」と読むたびに考えてしまいます。
③「癒し」や「励まし」がある:心に響く言葉の宝庫
筆者にとっての「クリスティー作品の魅力」3点目は、「癒し」や「励まし」となり得るような「名言」が随所に見つかることです。
「憧れの世界に浸る」「謎解きに心躍らせる」といった上記2点目の魅力は、基本的に「その場限り」の「娯楽」とも言えます。クリスティー作品をいっそう魅力的にするのは、読んでいるあいだの「楽しさ」はもちろん、読み終えたのちの人生にも影響を与えるような「癒し」や「励まし」、さらには「気づき」や「学び」となる一節もあることです。
たとえば、ある登場人物の嘆きに共感し、「苦しいのは自分だけではない」と慰められる。力強い励ましに、自分も勇気づけられる。ふいのセリフに、生きるうえでの「教訓」を見出す。
琴線に触れる言葉は心境によって変化するので、読むたびに発見の可能性があります。
これは余談ですが、「名言」の良さは、その「具体性」にあると思います。印象に残った一節を抜き書きし、「お守り」のように手元に置いておく。それをサッと読み返すだけで、読書中に得られた「癒し」や「気づき」をまざまざと思い起こせるという、スローガンのような効果があるためです。
クリスティー作品においても、一連の物語から「ぼんやりと感じ取る」学びがあり、それらは「名言」から得るものと同じく重要ですが、上記のようにはいきません。「魅力」の1点目で取り上げたクリスティー作品の「わかりやすさ」は、より直接的に心へと響く「一節」が散りばめられている点にも光っています。
そんな印象的な一節を、3点ご紹介します。
『牧師館の殺人』
ミス・マープルもにっこりした──甘くて優しい微笑だった。
「わたし、大伯母さんのファニーが言ったことを憶えてますのよ。わたしが十六のときで、そのときはほんとにばかばかしいと思いましたの」
「は?」
「大伯母はいつもこう言ってたんです。〝若い者は年寄りはばかだと思ってるけど、年寄りは若い者がばかだということを知っているんだよ〟って!」(p.452)
『象は忘れない』
「人生のすべてを楽しんでいらっしゃるんですわね」
「ええ、そうなんですの。つぎにどんなことが待ちうけているかわからないって、そういう気持ちなんでしょうね」
「それなのに」とミセス・ローズンテルは言った。「そんな気持ちのために、たくさんの人が悩みつづけているんでございますわ!」(p.278)
『運命の裏木戸』
「ああ、タペンス。きみはじつにすばらしい心を持っているんだね。せいぜい文句なしの災難を招くものが見つかるおそれのほうが、ずっと大きいのに」
「ばかばかしい。人は希望をもたなくてはだめよ。これこそ人生で忘れてはならない大切なものだわ。希望。いいこと? わたしはいつだって希望にあふれているのよ」
「それは知ってるよ」とトミーはいって、溜め息をついた。「それをしょっちゅう気の毒に思ってはいるがね」(p.23)
*この一節では、上記『象は忘れない』でも見られた「希望を持つ」ことへの礼賛に対して、トミーがやんわりと疑問を投げかけています。これら二作品が、クリスティー最晩年の作品(『運命の裏木戸』は事実上の最後の作品)であることを思うと考えさせられます。
④手に入る作品数が多い:「クリスティー文庫」は100冊以上
筆者にとっての「クリスティー作品の魅力」4点目は、作品数が多いこと。かつ、それらが図書館や実店舗、オンライン書店などで手に入りやすいことです。
入手困難であることが魅力につながる場合もありますが、クリスティー作品に読み耽っていた当時の筆者は離職中。お金も労力もほとんどかけずに、図書館で次々と借りては読める点は大変な魅力でした。
クリスティーの個々の作品に対する思い入れには濃淡があり、また、それは時と場合によって変わり得ます。それでも、ともかく「クリスティー作品」が好きで、たとえ結末を覚えていたとしても、また読みたい。
そう思うのは、「多作、かつ手に取りやすい」という「魅力」を前提に、たくさんの「時間」と「感情」を注いだことで、クリスティーの作品世界そのものへの愛着が芽生えたためだと考えています。
*「愛情」の強さは「時間」「お金」「感情」の3つをどれだけ使ったかで決まる、といった学びについて、以下の記事に詳しくまとめています。アガサ・クリスティーにちなんで命名された主人公が活躍するミステリ、「アガサ・レーズン」シリーズも簡単にご紹介しています。
「日本」への言及まとめ
それではいよいよ、アガサ・クリスティーがその作品内で「日本」や「日本」関連の事物に触れた箇所を列挙していきます。
「名探偵ポアロ」「ミス・マープル」といった分類は、早川書房「クリスティー文庫」のシリーズ分けを参考にしました。また、タイトルに続いて、原書の出版年を記しています。
犯人のネタバレはありません。
名探偵ポアロ
『ゴルフ場殺人事件』(1923)
「ジョゼフ・アーロンズという芸能関係のエージェントをしている男をおぼえていますか? 知らない? 以前日本の力士のちょっとした事件で、わたしが手を貸してやったことがあるのです。いや、なに、ほんのちょっとした事件でしてね。いつか話してあげますよ」(p.314)
*ポアロの一言。「力士のちょっとした事件」の詳細が語られる機会は、残念ながらなかったようです。
そのショーはえらく退屈なしろものだった──もっとも私の気分のせいだったかもしれない。日本人の一座がハラハラさせる曲芸を演じた。緑色の夜会服を着て、髪をてかてかに光らせた上流社会の紳士になりすました芸人たちが、社交人らしいしゃれをとばして奇妙キテレツな踊りを見せ、でぶのプリマドンナがのどをふり絞って歌い、滑稽な喜劇役者が必死になってジョージ・ロビー氏の真似をしようとしていたが、目もあてられない失敗だった。(p.316)
『アクロイド殺し』(1926)
五分もしないうちに、フローラが階段を下りてきた。淡いピンク色のシルクのキモノをまとっていた。不安そうでもあり、興奮しているようでもあった。(p.96)
『ビッグ4』(1927)
「ポアロさんも新聞で読んでおられるのではないかと思いますが、日本をおそった大地震の後、アメリカの水雷艇と駆逐艦が何隻か、暗礁に乗り上げて沈没しました。当初は津波の影響だろうと観測されておったのです」(p.70)
「すまない、ポアロ」と私はしょんぼりつぶやいた。「あいつをやっつけたと思った瞬間、こっちが背負い投げを食っていたんです」
「そう、あれは日本のジュウジュツという手でしょう。心配は要りませんよ、モナミ。すべては計画どおりに──彼の計画どおりに進捗しています。むしろそれが、こっちの狙いなんですから」(pp.101-102)
『エッジウェア卿の死』(1933)
これを啜る間、サー・モンタギューがひとりでしゃべった。
日本の版画、中国の漆器、ペルシャの絨毯、フランス印象派の絵画から現代音楽、アインシュタインの相対性理論に至るまで。(p.238)
『オリエント急行の殺人』(1934)
「たとえば、龍の刺繍をした真っ赤なキモノを着た婦人を見かけませんでしたか?」(p.251)
*殺人の容疑者が着ていた「真っ赤なキモノ」は、上記のほか、10ヶ所以上で言及されています。
『三幕の殺人』(1934)
ミセス・バビントンは港から遠くない所にある漁師の住居だった小さいコテージに居を移していた。六ヶ月後に日本からもどってくる妹を待っているのだ。(p.183)
『雲をつかむ死』(1935)
「それから、正直に申しますと、そのう、がらくたも集めてます。外国のがらくた、そらもう承知のことでして、なんでもかでも少しずつ──南方からのもの、インド、日本、ボルネオといった具合で。なんだって構やしねえんです!」(p.176)
『ひらいたトランプ』(1936)
「家具はそのほかにもあったが、注意して見なかったですね。日本の版画が六枚、これは一級品だった。鏡の上に中国の絵二枚、大変立派な嗅煙草入れが五、六個。日本の象牙の根付がこれも五、六個、これは一かたまりに机の上にのっていた」(pp.137-138)
「ガラスの造花があった──モダンで──美しいものだったわね。それに中国か日本の絵が四、五枚あったようだし、それから、小さな赤いチューリップの鉢──あれはずいぶん早咲きでしたよ」(p.144)
「日本の風土病みたいなもの──買ってきた日本製の髭剃りブラシからうつったのよ。日本人ってよく注意しないのかしら、こわいわねえ。それからあたし、日本製は敬遠してるの」(p.209)
『ナイルに死す』(1937)
彼女は少しおとなしくなった。それでややほっとした彼は、ミス・バウァーズがコーネリアと一緒にカーテンを開けて入ってきた時には、本当にありがたい思いがした。彼女は悪趣味な派手な化粧着を着こんでいた。(p.258)
『ポアロのクリスマス』(1939)
その次には、三、四本の美しい小さな植木と、水のかわりに鏡を使った池と、粘土でつくった橋とで表した日本の庭園があった。(p.39)
ほかにも、二脚の小さな椅子が、すぐ近くに横だおしになっていたし、またそこら一面に、割れたガラスびんやコップの破片、重いガラスの文鎮、本、粉々にくだけた日本の花びん、こわれた裸体少女のブロンズの彫像などが散らばっていた。(p.163)
『白昼の悪魔』(1941)
「ミス・ダーンリーよ、たぶん。日本的な日傘を持ってるのはあの人にきまってる」(p.106)
『ヒッコリー・ロードの殺人』(1955)
「ええと、氏名はナイジェル・チャプマン、年齢、二十五歳。出生地は長崎だということです──われながらまったく妙なところで生まれたもんで。おやじとおふくろがそこで何をしていたのか、想像もつきません。世界一周旅行でしょうかね。しかし、そこで生まれたからといって、日本人だということにはならないそうですね。ぼくはいまロンドン大学で、青銅器時代と中世史を専攻しています。ほかに質問はありませんか」(pp.146-147)
『鳩のなかの猫』(1959)
衣類がそこらじゅうに放りだしてあり、テーブルの上には、フィルムや、絵葉書や、ペーパーバックや、南国の特産品ということにはなっていても、たいていはバーミンガムや日本の製品である雑多な骨董品がいっぱいとり散らかしてあった。(p.53)
「デニスさん? ああ、この前ちょっとお話ししていらした方ですね? たしか、仕事の関係で、ビルマやマニラやシンガポールや日本、そういったところへよくいらっしゃるんでしょう。それでは、結婚なさっても落ちつくことにはならないんじゃありませんか?」(pp.389-390)
『第三の女』(1966)
「戦争が勃発するときというのはどんなものだか知っておるだろう。おたがいにどちらの味方かわかりゃせん。この戦争ではイタリアが盟友であると思えば、次の戦争では敵同士だ。やつらのどいつが最悪の敵なのかわかりゃせん。第一次大戦では日本は同盟国だったが、次の戦争では真珠湾を攻撃しくさった! われわれはいったいどっちの側にいるのか皆目わからん! ロシア人と手をつないで戦争をはじめたと思っておったのに、終わってみれば敵同士だ。いいかね、ポアロ、この節、同盟国の問題ほど厄介なものはないぞ。一晩のうちにくるりと変わるからな」(p.221)
「わたしどもではフレスコ壁を一揃いそろえてございましてお客さまにご自由に選んでいただいております。十点もそろっております」とマックファーレン氏は誇らしげに言った。「日本画もございますですよ──芸術的でしょう?──それから英国風庭園、それから印象的な鳥の図柄、樹木、ハーレクインのまだら模様、アブストラクト風のおもしろ味のあるもの──線や立方体が、きわだったコントラストの色で描かれているという具合でして」(p.283)
ミス・マープル
『牧師館の殺人』(1930)
妻を叱りつけようとして口を開きかけたところへ、メアリが生煮えのライス・プディングを持って入ってきた。穏やかに文句を言うと、日本人はいつも生煮えの米を食べているから非常に頭脳明晰なのだ、とグリゼルダが言った。(p.19)
「まあ、交渉の土台とでも申しましょうか。お宅のお隣りのミス・マープルを訪問する口実がほしかったんですよ。そしたら、あの女、いま造ってる日本式庭園に置くような岩とか石とかが何よりも好きだって聞いたもんですから」(p.239)
『ポケットにライ麦を』(1953)
最初はやはりアイデアだけで、混沌として考えがまとまらなかったので、一時それから離れて、雑誌記事に漫然と眼を通していた。日本を襲った大地震。タンガニーカでウラニウムの鉱床が発見されたこと。サウサンプトン近くの海岸に商人風の死体が打ちあげられた話。造船所のストライキが目前に迫ったこと、等々々……(p.333)
トミー&タペンス
『運命の裏木戸』(1973)
アイザックはドアを蹴って開け、いろんな木の枝をどかし、腐った林檎を蹴っとばし、それから壁にさがっている古いドアマットをどかすと、三つ四つの錆ついた鍵が釘に掛かっていた。
「リンドップの鍵だ。最後の住みこみの庭師だよ。もとは籠細工をつくってたんだがね。何をやってもだめな男だった。KKのなかを見ますか──?」
「ええ」とタペンスはわくわくしながら言った。「KKのなかをぜひ見たいわ。どう綴るの?」
「どう綴るって、何が?」
「KKのことよ。二つの文字だけ?」
「いや、ちょっとちがうようだよ。外国語が二つじゃなかったかな。確か、K - A - I、K - A - Iだったと思うんだがね。Kay - Kayか、Kye - Kyeに近かったかな。日本語だと思うんだがね」
「あら、この村に日本人が住んでいたの?」
「いやいや、そういうことじゃないんだよ。外国人といっても、そっちのほうじゃないんでね」(p.118)
「あそこにはまだほかにもいろんなものがありそうよ、ほら、あの──それにしても、なぜケイ - ケイっていうのかしら?」
「わからんね。だいたい、綴りはわかるのかい?」
「さあ──k - a - iだったと思うけど。ただのKKじゃないのよ」
「そのほうが謎めいて聞こえるからかい?」
「日本語みたいに聞こえるけど」とタペンスは自信がなさそうにいった。
「いったいどこが日本語みたいに聞こえるのかな。わたしにはそうは聞こえないがね。それより、食べもののようだよ。お米のようなものだろう」(pp.138-139)
「潜水艦に関係のあることじゃなかったかね? 潜水艦の設計図が何者かに売り渡されたとか。相手は何者だったかな、忘れてしまったよ。日本人だったかな、ロシア人だったかな──まあ、ほかにもたくさんいたがね」(p.188)
国籍は見当がつかなかった。どこの国の人間といっても通りそうだ。たぶん、外国人だろうという気はした。ドイツ人かな? それともオーストリア人かな? 日本人かもしれない。あるいは、生粋のイギリス人かもしれない。(p.196)
「メアリ・ジョーダン。なにか記憶にあるような気もしますな。海軍と関係のあることじゃありませんか、潜水艦と? スパイだという噂だったんでしょう? 半分外国人だったんですよ。母親がロシア人か、ドイツ人か──もしかすると日本人かなんかだったかもしれません」(p.304)
「ほんとうは、金魚の池なんです」と男の子の一人がいった。「昔、金魚が入ってたんですよ。日本かどっかからきた、尻尾のいっぱいある特別のなんです」(p.346)
「あのガラスの小屋のことですか? KKのことでしょう?」
「そのとおりよ。不思議ね、あなたがあの名前をちゃんと知っているなんて」
「昔からKKって言われてるんですよ。みんな、そういっています。日本語だそうですよ。ほんとうかどうか知らないけど」(p.377)
*事実上の最後の作品である本書には、「日本」の記述が多数登場します。「KK」の由来は、作中ではわからずじまい。本筋の謎とは直接の関係がなく、単に舞台のモデルとなったクリスティーの生家「アッシュフィールド」に、同じくなぜか「カイ・カイ」と呼ばれる温室があったために綴られただけのようです(『アガサ・クリスティーの生涯』より)。
もうひとつ、やや小さな温室もあったが、こちらは家の反対側に隣接していて、なぜか〈カイ・カイ〉と呼ばれ、クローケーの打球槌や、輪回しの輪、こわれた庭椅子やテーブル、などをしまっておくのに使われていた(後年アガサは、『運命の裏木戸』)のなかで、この温室のことを詳しく書いている)。(p.37)
短篇集
『ポアロ登場』(1924)
いいかい、ヘイスティングズ、半年ちょっと前のことなんだが、アメリカ政府のある省から海軍の重要な計画書が盗まれた。そこにはもっとも重要な港湾防衛施設の位置が書かれていて、外国──たとえば日本の──政府にとっては相当な金額を払っても手に入れたいものなんだ。(p.95)『安アパート事件』より(以下同様)
アメリカの秘密情報機関は、全力を尽くして彼女の行方を追うと同時に、ワシントンに住む特にはどうということのない何人かの日本人を監視していた。情報機関は、足取りを消したエルザ・ハートがいずれこの日本人たちと接触するにちがいないと睨んでいた。そして二週間前、その日本人のひとりが急にイギリスへ渡った。(pp.95-96)
「こいつは日本人じゃないぞ」私は強い口調でポアロに囁いた。
「きみの強みはその観察眼だな、ヘイスティングズ! ぜったいに見落としがない。いかにも、彼は日本人じゃない」(p.98)
背の高い赤味がかった髪の女で、ほっそりとしたからだに緋色のキモノをまとっていた。(p.100)
『死の猟犬』(1933)
「うまくいくとよろしいけど」とてきぱきした口調で言う。「よそに呼ばれて、つまり……みなさんにご満足ねがえなかったときは、ほんとうにいやな気持ちですからね。頭がどうかなってしまいそうなくらい。でも今夜シロマコは……これ、わたしを動かす日本の霊なんですけどね……うまくやってくれそうな気がします」(p.63)『赤信号』より
『パーカー・パイン登場』(1934)
「いや、よけいなことを申しました」とパーカー・パイン氏は、この女流作家の大当たりした四十六冊の小説のことを頭において、彼女のいい分を認めた──これらはみな、英米のベストセラーになり、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ハンガリー語、フィンランド語、日本語、アビシニア語などに、盛んに翻訳もされていた。(p.70)『退屈している軍人の事件』より
クローディアス・コンスタンチン博士は、昨夜、日本へ出発する前夜に開かれたお別れ講演会において、驚くべき学説を発表した。(p.179)『大金持ちの夫人の事件』より
『死人の鏡』(1937)
「幽霊を見た?」
「はい。まっ白な着物をきた背の高い女で、音一つ立てないで宙に浮いていたんだそうです」
「なんてばかげた話だ!」(p.145)『謎の盗難事件』より
『黄色いアイリス』
これは海のほとりに立っている小さなホテルだが、快晴の日の朝霞の中にまるで日本の版画のように幽艶にけむる風景を見おろす場所にあった。(p.119)『ポリェンサ海岸の事件』より
『愛の探偵たち』
「それにもちろん、スペンロー夫人が身につけていたものが、ちょっと妙だともみんな思っているんですよ」
「妙というと?」
「キモノをきていたんです。服じゃなくて」ミス・マープルは顔をあからめた。「あの種のものは、ほら、おわかりでしょ、げすな勘ぐりをする人もいるってこと」
「あなたもですか?」
「まあ、とんでもない、わたしはそんなふうには思いません。キモノはごく当然だったと思いますよ」(pp.180-181)『昔ながらの殺人事件』より
『クリスマス・プディングの冒険』(1960)
ポアロはうなずいた。彼の目は、部屋の反対側へさまよった。二台のステレオ・プレイヤーが、それぞれ低いテーブルの上に据えてあり、コードをくねくねと引きずっている。安楽椅子と──大きなテーブルが一つ。壁には日本の版画のセットがかかっている。どっしりとして気持ちのよい、だがけっしてけばけばしくない部屋であった。(p.171)『スペイン櫃の秘密』より
戯曲集
『ブラック・コーヒー』(1930)
◯◯◯はポアロにつかみかかるが、ポアロは柔術の足払いをかけて見事に◯◯◯を倒し同時にスーツ・ケースを奪いとる。(p.172)[*ト書き。伏字(◯◯◯)は筆者]
『ブラック・コーヒー〔小説版〕』(1997)
「たったいまのポアロさんの動きには肝をつぶしたろうね? ありゃあ、なんです、ポアロさん? 日本のジュージュツのたぐいですかね?」(pp.216-217)
『ねずみとり』(1954)
「たとえば、日本軍の捕虜にでもなってひどい苦労をして帰ってきたとしたら──帰還してみると妻は死んでいる、子どもたちは虐待されたあげく一人が死んでしまった、そんな目に遭ったとしたら、頭がすこし狂って──むらむらっと復讐を思い立つかもしれないし」(p.124)
ノン・シリーズ
『茶色の服の男』(1924)
わたしは船室に入りこんだ。部屋じゅうに衣装が散らかり、ブレア夫人は見たこともないような美しいキモノを身にまとっていた。オレンジと金と黒の三色で、涎が出そうなほどすてきなキモノだった。(p.149)
『未完の肖像』(1962)
しかしダーモットは貧乏な生活に甘んじる男ではない。彼は人生の成功者だ。もちろん、これからも出世するだろう。そういうたちの人なのだ。消化器の具合は今よりもう少し悪くなるだろうが、あいかわらずゴルフを続け……ダルトン・ヒースかどこかに居を構え……彼女自身は見たいものを見ることなく──遠い国々、インド、中国、日本、バルチスタンの荒涼たる高原──ペルシャ──音楽のように美しく響く名をもつ土地、イスパハン、テヘラン、シラーズをついに見ることなく……(pp.468-469)
『暗い抱擁』(1947)
しかし聴衆に訴えたのは彼のユーモアではなく、あくまでもその真摯さであった。戦争がいずれ終結したら、日本が戦いから手をひいたら、平和の日がくる。そのときこそ、本腰をいれてさまざまな問題に取り組まなければならない。幸いにして当選したら、自分はきっと真剣に義務を果たすつもりだ……(p.78)
「日本との戦争が終わったら──帰っていらして、今度はずっとここでお暮らしになるのかしら?」
真面目な問いに、彼の表情もふと真面目になった。
「それは場合によりますね──いろいろなことがあるから」
何がなし沈黙が続いた──ルパートもイザベラも同じことを考えているようだった。二人のあいだにはすでに完全な和合と理解があったのだ。(pp.254-255)
「もともとおれはドンパチパチってな、撃ち合いの中でしか役に立たないんだから、対日戦争が終わったら、用なしさ。失業したオセロって寸法でね」(p.271)
『娘は娘』(1952)
「もっと日当たりのいいところに行って坐りましょうか? 寒くはありませんか?」
「いいえ、暖かいくらいですわ」
隣りあった椅子に腰をおろして、二人は水の上に目を向けた。淡い色調の、ちょっと日本の版画のような感じの風景であった。(p.71)
『終りなき夜に生れつく』(1967)
「たぶん、ここでも、庭作りの新しいプランをあなたは考えてるんでしょう。あたしたち、イタリアの庭園や日本庭園、そしていろいろな種類の造園を見に行くことにもなることでしょう」(p.271)
『フランクフルトへの乗客』(1970)
続いて日本、エジプト、南アフリカ行きの乗客の呼出しがおこなわれた。(p.36)
エッセイ・自伝
『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』(1946)
隊では自転車が一台、購入される。おそろしく安い日本製の自転車で、これがボーイのアリの自慢の専用車となる。彼はこれで週に二日、カーミシュリーの町へ行き、郵便物をとってくることになる。(p.260)
『アガサ・クリスティー自伝(上)』(1977)
父は友人マーティンとの再会を喜んでいた。母とピーリー夫人とはよく話が合って、わたしの記憶に誤りがなければ、たちまち日本の美術について熱のこもった論議をやっていた。(pp.182-183)
ふつうの旅行手段としての航空会社ができたことぐらい、わたしの生涯でがっかりしたことはなかったように思う。人は飛行機を鳥の飛行になぞらえて夢みていた──空中を自在に飛びまわる爽快さである。ところが今や、飛行機に乗り込んで、ロンドンからペルシャへ、ロンドンからバミューダへ、ロンドンから日本へ飛ぶ退屈さを思うとき、これ以上の無味乾燥なものがあるだろうか?(中略)船はまだロマンチックなところが残っている。列車は──列車にまさるものがあるだろうか?(p.461)
とにかく、わたしは世界見物がしたくてしようがなかったが、とてもできそうには思えなかった。わたしたちは今、シティの生活に身をゆだねていて、わたしの見るかぎり、実務家は一年に二週間以上の休暇は取れない。二週間ではとても遠くへは出かけられない。わたしは中国や日本やインドやハワイ、そしてその他多くの地を見たいと切望していたが、その夢はそのままで、おそらくいつまでもそのままになっていることであろう、ただ念願として。(p.596)
*クリスティーの最初の夫・アーチーが、使節の財政顧問として各国を巡る仕事を引き受けるかどうかを話し合う場面にて。そのあいだ、アーチーの現職が維持される保証はありません。結局、クリスティーは夫に以下のような印象的な言葉を掛け、「冒険をしてみることになった」(p.598)。
「今やらなくちゃ、わたしたちいつまでも自分自身に腹を立てていなくちゃならないと思う。そうよ、あなたがいってたように、チャンスが来たときに、自分が望んでいたことのために冒険することができなかったら、人生なんて生きてる価値がないわ」(p.598)
『アガサ・クリスティー自伝(下)』(1977)
「それに、あの窓敷居の上に載せてあるもの、あれはなに?」
「あれ? 日本の盆栽」
「だけど、すごく高いもんじゃないの?」
「七十五ポンド。日ごろから一つほしいと思ってたんだ。ごらんよ、あの形。すてきでしょう?」
「あのね、モンティ、そんなもの買うんじゃないわ」
「あのジェームズ[筆者注・マッジの夫]と一緒に暮らしてると、姉さんは楽しみまで忘れてしまっていて、いけないよ」
盆栽はその次に姉が訪ねたときにはなくなっていた。
「あれはお店へ返したの?」姉が少し望みをかけてきいた。
「店へ返す?」モンティはいまいましそうに、「もちろん、返さないよ。じつは、ここの受付係にくれてやったんだ。すごく、かわいい娘でね。とてもあの盆栽をほめてたしね、母親のために苦労してるっていうんでね」
マッジはいう言葉がなかった。
「昼食へ出よう」モンティがいった。
「ええ……でも、安いところへよ」
「あ、いいよ」
二人は通りへ出る。モンティはドアマンにタクシーを呼んでくれと頼む。ドアマンが通りがかりのタクシーを止めると、チップに半クラウン与えて、運転手には高級レストラン、〈バークリー〉へ行けと命じた。マッジはとうとう泣きだした。(pp.89-90)
*クリスティーの姉・マッジと、「向こう見ずの」(p.210)兄・モンティのやりとり。お姉さんのマッジは、弟・モンティの貨物船の建造に投資します。しかしモンティは、そのお金を(娯楽のためにも貨物船のためにも)散財。果ては戦争で状況が変わり、船は「政府に安い値段で買い上げられてしまった」(p.91)そうです。
わたしの生活がまた始まっていた、まずドイツとの戦争が終わるとともに。もっとも、法律的には戦争は日本とのあいだにつづいていたが、わたしたちの戦争はもう終わっていた。そして、ばらばらになった部分を拾い集める仕事がやってきた──人の生活の断片──部分や断片がそこら中に散らばっていた。(p.477)
学び:苦しいときこそ「自分の本心」を大切にする
仕事を退職し、一日の大半を、クリスティー作品をはじめとした「本を読むこと」に費やす。
そんな時期を振り返って改めて教訓にしたいのは、「苦しいときこそ『自分の本心』を優先する」ということ。
言い換えると、現実的に考えて「違法性がある」「生死に関わる」など大きな実害がないのなら、「意味がない」または「やるべきではない」といったわだかまりを感じたとしても、「できそうなこと」や「やりたいこと」を優先する、ということです。
その理由は、「無理」をしても結局は続かないから。何度も転職を繰り返し、そのことが身に染みました。
たとえば、クリスティー作品に読み耽ったころの筆者のように、忌避感のある「就職活動」よりも、やりたいと思える「本を読むこと」を優先する。
今思うと、引きこもって本ばかり読んでいる現状に対し、あれほど自己嫌悪しなくてもよかったと感じます。筆者は幸いにして実家に頼ることができたため、当面の経済的な心配はありませんでした。無用な苦しみを生む「生き方」を改める必要があったこともあり、好きな読書にひとまず没頭し、充電する時間を持つという選択は、それなりに妥当だったと思うからです。
そもそも、ある行動をいっとき回避したからといって、「一生やらない」とは限りません。当時は無意識にでしたが、「自分の本心」を優先して読書をし続けるなかで、あるとき自然と「カウンセリングを受けてみよう」という気持ちになり、結果として再就職ができたという実例もあります。
あるいは今回の記事のように、まとめる「意味」があるかどうかはわからなくても、「自分の本心」がそれを望むならやってみる。あくまでも余暇活動なので、やりたいと思う行動をして、「気が済む」だけでも十分な成果です。
心身の不調で苦しいときこそ、現実的な考えを前提に、「できそうなこと」や「やりたいこと」を優先する。つまりは「自分の本心」を大切にする。
当たり前と言えば当たり前なのですが、そんな生き方を心掛けたい、と改めて感じた次第です。
*「現実的な思考を前提に、『自分の本心』に従う」という上記の気づきは、そのまま「幸せの極意」でもあります。関連記事はこちら!
*「自分の本心」の見分け方は、以下の記事に詳しくまとめています。
今回は以上です。
読んでくださってありがとうございました!
<今日のISSEKI>
苦しいときこそ、現実的な考えを前提に「自分の本心」を大切にする。