ISSEKI

「生きてよかった」を追求中。本・認知行動療法・プログラミング(学習)について発信します。

「認知行動療法」カウンセリング記録。今の私は「肩書き」のために働こうとしている

「認知行動療法」のカウンセリングで得た、「気づき」や「学び」をまとめます。

お役に立てれば幸いです。

*カウンセリングは、2019年7月から受けています。

 

【注意】

個人的なカウンセリング内容の記録です。正確な解釈をし損ねている恐れもありますので、「ご参考まで」でお願いいたします。

 

目次

 

 

最近の「気分を落ち込ませる」考え2つ

 

  1. 「あれもこれもやらなきゃ」
  2. 「転職しなきゃ」

*現在は離職中です。前職はプログラミングスクール「テックキャンプ」受講開始のタイミング(2021.10~)で退職しました。

 

1つ目は主に「ブログやTwitterを含めた発信」や「読書」に関してです。

どちらも仕事ではなく「趣味」としてやっていることなのですが、なぜか「(目に見える)結果を出さなきゃ!」と考えてしまいがち。

 

「たくさん投稿しないと」「この日までに読み終えないと」つまりは「自己実現しないと」みたいなことを考えて、自分をやみくもに追い込んでいました。

*今でもときどき思います。

 

 

2つ目の「転職しなきゃ」は以前から感じていたことです。

それが受講しているプログラミングスクールの「転職支援」が本格化し出したタイミング(2月初め)で強まってしまいました。

 

カウンセリングの効果もあって、受講開始当初よりも深刻度は低いです(前者を100%とすると、今は40%くらい)。ですが「気分が下がる」ことは変わりありません。

 

これら2つの課題と直近のカウンセリングで学んだこととを絡め、「考え」をまとめたいと思います。

 

 

カウンセリングで学んだこと

1. 大前提:「ゆるめる」と「律する」のバランスが大切

 

  • ゆるめる:生きやすさ・楽しさ・自由度アップ
  • 律する:完成度・合理性・生産性・効率アップ

 

人生にはどちらも大切。

先生が言うには、それなのに私は「律する」が強すぎる。だから

「『ゆるめる』の比率を増やしましょう。具体的には、プログラミングスクール関連以外(プライベート)は『ゆるめる』時間にすること。生産性は一切考えないでいいんです」

とのこと。

 

難しい…。ですがこの言葉をいただく「以前」よりは、「ゆるめる」が実行できていると思います。無理にブログを書こうとしたり、目標の未達を自責したりする気持ちは前より減ってきました。

 

 

*もちろん「本心でやりたいと思えば、完成度を求めてもOK」とのことです。私は基本的に自然と「やり込む」タイプ(だと思っている)ので、「これは本心か」の見極めはしっかりしないとと考えています。本心に反した行動を増やすことは、「不幸せの原因」になるからです。

 

*「本心の見極め」に関して、以下の記事で詳しくまとめています。ポイントは気持ちが「プラス」になるか「マイナス」になるか、です。

isseki-blog.com

 

 

これは私の考えですが、どちらかというと「ゆるめる」は「自分本位」、「律する」は「他者本意」だと思います。

 

  • ゆるめる:自分にやさしくする、自分を受容する=価値がある
  • 律する:一般的に見て「良い」=価値がある

 

価値がないことはしてはいけない」と考えて「律する」ことばかり、私はそれで消耗していたのですが、前者にも当然「価値」はあります。

 

むしろ後者はとても曖昧。

仕事や学業など目標がわかりやすい場面を除くと、結局は「私が想定する・一般的に良い」を目指すことになります。これではただの「自己満足」です。

 

「ゆるめる」「律する」のどちらにせよ、「独りよがり」の側面はできてしまう。そういう意味でも「バランスが大切」。そう考えるようになってきました。

 

 

2. なぜ「律する」が強い?(私の場合)

 

  • 「人の目」を気にしているから
  • 「肩書き」を求めているから
  • それにより「自分の価値」を上げようとしているから
  • つまり、「自分に価値を感じていない(自分に自信がない)」から

 

自分を律しようとするのは、「価値を上げなきゃ」と思うから、つまりは「自分に価値を感じていない」から。

自信がないから、「何かやらないと」「このままではいけない」と常に思う。そうしないと「人にダメと思われてしまう」から。

 

人に一目置かれる(わかりやすい何かが「ある」)状態になろうとして「結果」や「肩書き」をつけようとしていました。具体的には、ブログをたくさん投稿したり、仕事をしたりすることでです。でもそれらは「自己否定」が起点なので、目指すことで辛くなるのも無理のないことだと思います。

 

  • 私は「人の目」から見ての結果(価値)を求めている
  • 「肩書き」のために働こうとしている
  • でも、人から評価されることだけが「価値」ではない

 

そこに気づいて受け入れた時点で、少し気持ちが楽になりました。「本当に必要」なわけではないと思えるようになったからです。

 

 

3. ではどうすればいいのか(私の場合)
  • 肩書きに頼らずいられるよう、自分を認めていく。自信をつけていく

 

そのために言われた「意識すること」は3点です。

 

①能力は、「持っている」だけでも「価値がある」

  • 私は知識や力が「ない」のではなく、まだ使っていないだけ
  • スクールで学んだ基礎的なプログラミングの知識、カウンセリングで得た心理学の知識を持っている
  • 専門的でなくても、一般的な平均より高いのなら価値はある

 

今使っていないだけで、いざとなったらそれで人に貢献できる。

だから必死になって付加価値をつける必要はない。

 

 

②私の価値は「人が決めるもの」という考えは誤り

  • 「価値」は決められない。わかりようがない(判断する人の価値観による)

 

だからこそ、自分の価値は自分で決めていい。

*ただし、公平であることが大切(「ひいき」も「卑下」もしない)

 

 

③「肩書き=実力」ではない(場合による)

  • 肩書きをやたらと強調してくる人は自分に自信がない

 

だから「人からの評価」や「肩書き」ではなく、自分で自分を認めることで自信をつけていく。

 

 

終わりに

 

「人にどう思われるか」を気にするところは改善の余地ありです。ですが「あれもこれもしなきゃ」「絶対に転職しなきゃ」という気持ちはあまりなくなり、なんだか最近楽しくなってきました。

 

今後も「生きてよかった」を追求します。

読んでくださってありがとうございました!

 

 

<今日のISSEKI>

「価値」は決めようがない。

だから「人からの評価」や「肩書き」ではなく、自分で自分を認めることで「価値=自信」をつけていく。