「認知行動療法」のカウンセリングで得た、「気づき」や「見識」をまとめます。
お役に立てれば幸いです。
*カウンセリングは、2019年7月から受けています。
【注意】
個人的なカウンセリング内容の記録です。正確な解釈をし損ねている恐れもありますので、「ご参考まで」でお願いいたします。
目次
大前提
1. 幸せになる極意は、「自分の本心」に従うこと
- 幸せになるのは簡単。「自分の本心」に従えばいい
- 本心に従えない/逆らってしまう原因は、「認知の歪み」
- その「歪み」を「現実思考(客観的に妥当な思考)」へと修正することが、カウンセリングの一つの役割
とてもシンプルな考えですが、これが「言うは易し」。ですが少しずつ改善していることは実感しています。
自分の「信念」と化している考え方を「認知の歪み(真実ではない)」と「気づく」ことがまず(信念なので)難しいんですよね。
先生から指摘を受けて、反発して理論的に説明されて、やっとのことで自分の考えの「歪み」を渋々認める、といったことを何度も経験しています。
これを「自力で行う」のは非常に難しい。それができるなら、そもそも認知の歪みなんて生まれてないのでは? と思うくらいです。
カウンセリングを受けるまで、私は「自分の力でなんとかできる」とずっと(根拠もなく)思っていました。実際はもちろんできていなかったので、定期的に客観的なアドバイスをもらえる立場になって、本当に良かったです。
2. 80%の人は、自分のことが「好き」(程度の差はあり)
- 20%の人は、自分のことが「好き」
- 60%の人は、「考えたことがない」(でもおおむね好き)
- 20%の人は、自分のことが「嫌い」
これは先生の「体感」とのことですが、私にとっては衝撃でした。
中学校時代から「自分が嫌い」で仕方なかったので、無意識に「みんなそうなんだろう」と考えていたんだと思います。
…いや、やっぱり「自分のことが嫌い」な自分は「恥ずかしい」と思っていたのかもしれません。「あなたも自分自身のことは嫌いだよね?」と確認するようなことは避けていた(「そんなことはない」と言われるのを怖がっていた)ような気もするので。
もしかして人は「自分はなぜ生きているのか」なんて考えない? 「生まれてこなければよかった」とも? それならそれも驚きです。
3. 「評価」は「できている/持っている」ものでしかできない
- 「できない/持っていない」もので的確な評価をすることはできない
- なぜなら、人は「できないこと」が99.9999…%(ほとんど全て)だから
仕事の面接を例にしてみると、「ないスキル」「持っていない経験」で評価をしていたらキリがない。
それなのに私は、自分が「できない/持っていない」ことばかりを取り上げて「だから私はダメなんだ」と自己評価を下げていました。
先生曰く「『ない』ことで人を好きになることはありませんよね」。本当にそうだなと思います。
本題
1. 「自己評価が低い/確立できない」原因は?
簡潔にまとめると、「正当な評価ができていないから」。
上記(大前提-3)で書いたように、「できない/持っていない」ことで自己評価を下しているから。
ダメなのは「私」ではなく「私の視点」だったということです。
そもそも、
- 「価値がない」と「価値を置いていない」は別物
- 私にとっては価値がなくても、他の人には価値が「ある」場合はある
という考えもあります。
私は私に対して不適切な視点で評価を下していましたが、それでたとえ低評価だったとしても、「価値を感じてくれる」人はいたのです。
(とはいえ「私が私を嫌い」なままでは、いくら高評価をもらえても長期的には満足できなかったと思います)
さらに
- 自分がもし「他人」だったら「肯定できる」→ 二重基準(認知の歪み)
これも「自己評価が低い」ゆえだったと思います。他人なら「いいんじゃない?」と平気で言えることでも(例えば仕事や結婚をしていないこととか)、自分だと「あり得ない」となる。
「自己評価」に関しては、まだまだ改善が必要なようです。
2. 「幸せになる才能がない」?「生きていくのに向いてない」?
- そうではない。ただ「私には価値がある」と認めていないだけ
- 「いま幸せでない」のはそのせい。「(幸せになる)才能がない」からではない
- むしろ「自己評価が低い/自分を良く思わない」なら、「不幸感がある」「自信が持てない」「落ち込む」のは当然
- それは「自己評価が高い/自分を良く思う」ことが単純に「幸せ」へと直結することと同じ
「何をやっても(努力しても)幸せになれない」と思っていたので、いつしか「私は生きることに向いてないのでは」いう考えになっていました。
人生のすべてが「私の無価値を証明する」ためにある。そんな気すらしていました。
「幸せでないこと」がすでに辛いことなのに、「幸せになれない自分」をさらに責めていた。悪循環です。
常に「できない/持っていない」ことで自己評価を下すということは、冷静に考えると絶対に「負ける」勝負をし続けることと同じですよね。苦しい生き方をしていた(いる)と思います。
3. ではどうすればいいのか(私の場合)
- 「評価」は自分が「できている/持っている」ものでする
- それができているかを確認する一つのヒントが、「これが(私ではなく)他人のことでもそう思うか」→二重基準でないか
- 二重基準なら、その評価は「認知の歪み(真実ではない)」→不要なので捨てる
加えて
- それで「マイナスの感情」になるなら、それは「不必要な自己評価」→不要なので捨てる
という考え方もあります。
なぜなら、それは「自分の本心ではない」から。
こちらの詳細は次回の記事でまとめます。
読んでくださってありがとうございました!
<今日のISSEKI>
ダメなのは「私」ではなく私の「視点」。
「評価」は自分が「できている/持っている」ものでする!