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「仏教」と「認知行動療法」の共通点3つと、心休まるクールな教え。2024年ベスト本『自分という壁』感想まとめ

本記事では、筆者の2024年ベスト本である、大愚元勝(たいぐ・げんしょう)著『自分という壁  自分の心に振り回されない29の方法』の感想をまとめます。

 

かわいらしいイラストと読みやすそうな雰囲気にひかれ、手に取った本書。

おだやかな語り口に導かれながら、仏教の基礎、そして「怒り」や「嫉妬」「不安」といった、筆者が折々に悩まされている「壁」との向き合い方を学ぶことができました。

 

意外だったのは、仏教の教えと、筆者が以前受けていた心理療法の一種「認知行動療法」の考え方とが、ところどころ似かよっていたこと。

そんな「気づき」や「学び」を定着させるためにも、特に共通していると感じた点を3つ、加えて、「一切いっさい皆苦かいく」という仏教のクールな教えに、筆者が癒されたわけを整理します。

 

要点をつかみ損ねていたり、誤った解釈をしていたりする箇所もあるかと思います。あくまで「個人の感想」ですので、「ご参考程度に」ということでお願いいたします。

なにかしらのお役に立てれば幸いです!

 

目次

 

「仏教」と「認知行動療法」の共通点

①自分の心をおさめるための「思考法」

筆者が感じた、「仏教」と「認知行動療法」の共通点。

1つ目は、自分の心をおさめるための「思考法」平たく言えば「ツール」である点です。

「自分の心をおさめる」とは、「自分の感情を制御する」あるいは「苦しみを減らし、心おだやかに生きる」とも言い換えられると思います。

 

仏教は「神様の教えに従うだけで幸せになれる」「なにかを信じれば救われる」というものではありません。「このように考え、実践すれば、悩みや苦しみを手放せる」という思考法と実践法です。(p.19)

 

仏教というと、神聖な存在、たとえば開祖である「お釈迦さま(ブッダ)」を「拝む」といった印象がありました。

しかし本来は、苦しみを減らし、心おだやかに生きるための具体的な手段が示された「思考法・実践法」(p.19)とのこと。

この点は、精神疾患の治療のために開発され、自分の考え方(認知)に働きかけることで、「マイナスの感情・気分」の軽減や、病気の改善を目指していく「認知行動療法」と重なります。

 

たとえば以下の一節は、文頭の「仏教」を「認知行動療法」と置き換えても、さほど違和感はないと筆者は感じました。

仏教のテーマはずばり「心」です。自分の心と向き合い、その動きや反応を徹底的に見つめ、感情の移ろいを冷静に分析していくことで、悩みや苦しみを手放し、安定した、おだやかな心を養っていくことを目指しています。(p.5)

*有名な「アドラー心理学」は、仏教の影響をおそらく受けているとのこと(pp.20-21)。「認知行動療法」も同様だと思われます。

 

②「苦しみの原因=自分の心」に注意を向ける

筆者が感じた、「仏教」と「認知行動療法」の共通点。

2つ目は、苦しみの原因は「自分の心」にあるとし、置かれた環境や他人の言動など外側」ではなく、「自分の内側(心)」に注目する点です。

 

すべての苦しみの原因は、自分の「妄想や思い込み、他人と比較したくなる気持ちなど、自分のなかにあるさまざまな壁」(p.6)。または「あなたの心のクセ、思考習慣」(p.7)。

本書のタイトル『自分という壁』の由来は、この点にあります。

 

結論を申し上げますと、心に生じるすべての苦しみは「あなたの頭の中の妄想」から生まれています。じつは、そこに他人は関係ありません。(p.4)

苦しみの原因を外に求めている限り、苦しみが消えることはなく、ひいては幸せにもなれない──ブッダはそのことを発見したのです。

そして、本当に幸せになりたければ、自分の内側(心)に目を向け、自分の思いを整えていくように努力する必要があると説いたのです。

つまり、「自分の心の壁」を乗り超えていくことができれば、抱えている悩みを手放し、もっとおだやかな心で生きることができるということです。(pp.17-18)

 

「認知行動療法」においても、自分の「感情・気分」を左右するのは「自分の解釈=内側」であって、出来事や環境・他人の言動・持っているものなど「場面・状況=外側」ではない、という考えが基点となっています。

*詳しくはこちら!

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具体例:「怒り」は、自分の「勝手な期待」から生まれる

本書には、「怒り」や「嫉妬」「不安」「焦り」といった「苦しみ」への対処法、言い換えれば「自分の内側(心)」への注意の向け方が、冷静かつ客観的な「智慧ちえ」に基づいて説明されています(「智慧」については「③『智慧:現実思考』を磨くことを重視する」にて詳述します)。

 

たとえば、「他人への怒り」の原因は、他人の言動そのものではなく、自分の内側(心)にある「勝手な期待」。

裏切られた、不利益を被ったと思うのは、その人は裏切らない人、自分に不利益を与えない人だと、勝手に思い込んでいた=妄想していたからです。(p.71)

期待をしたことが実現されないから、「どうして私の思いどおりにならないんだ!」という失望が生まれ、それが怒りになってしまうのです。(p.73)

 

「智慧」によってそのことを自覚し、それが、たとえば生命にかかわるような「必要な怒り」でないのなら、手放す。

 

具体的には、以下の方法が紹介されています。

  • 「他人は自分の思いどおりにはならない」ことや、怒りの原因は「自分の勝手な期待」であることを認識する
  • 怒りの対象から距離を置いて、深呼吸をしたり、掃除・片付けなどの単純作業で体を動かしたりする

 

自分の心をおさめるために、苦しみの原因である「自分の内側(心)」に注意を向ける。

ただしこのことは、「どのような状況に置かれても、自分の心のあり方しだいで明るい気持ちを保てる、耐え忍べる」といった意味ではありません。

 

上記の例で言えば、「怒り」にも、生命にかかわるような「必要な怒り」と、「自分の勝手な期待」から生まれる「不要な怒り」とがあり、前者の場合なら、むしろ抱いて当然。

自分の心に注意を向けさえすれば、「常に」おだやかでいられる、というわけではなく、また、それが「不要な怒り」だからといって、「自分の心を整える」以外の対処も「不要」とは限りません。

場合によっては、自分の要望を伝える、環境そのものを変えるなど、「自分の外側」への働きかけも選択肢に入ります。それを見極めるためにも必要となるのが、後述する「智慧:現実思考」です。

 

③「智慧:現実思考」を磨くことを重視する

筆者が感じた、「仏教」と「認知行動療法」の共通点。

3つ目は、「智慧ちえ:現実思考」を磨くことを重視する点です。

仏教においては「智慧」、そして認知行動療法では「現実思考」を身につけることが大前提となっています。

 

仏教とは、苦の原因である執着を離れ、ものごとをありのままに認識する、智慧を育てるための実践練習法である。(p.259)

何度も言うように、苦悩を生む原因は自分自身にあります。

その自分を客観的に、正しく見ること。これが智慧です。(p.58)

 

「智慧」とは、「真理を見極める認識力」(p.232)のこと。

そして「現実思考」とは言葉の通り、「現実的な考え」または「現実的に考えること」。

物事を客観的・合理的にとらえることを指す点で、通底する言葉だと思います。

*「現実思考」について、詳しくはこちら!

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上記「②『苦しみの原因=自分の心』に注意を向ける」でも述べた通り、仏教では、苦しみの原因である自分の内側(心)、さらに言えば「頭の中の妄想」(p.4)に注意を向けます。

自分の内側(心)を「智慧」で照らし、それが「妄想=事実ではない」と気づくことで苦しみを手放していく。

このことはそのまま、自分の思い違いや誤った解釈(認知の歪み)を「現実思考」でとらえ直そうとする「認知行動療法」と共通します。

そしてこのため、両者ともに、「智慧:現実思考」を磨くことを重視するわけです。

 

ちなみに、本書によれば、この「智慧」を開くための方法が「瞑想」とのこと。

その目的は「自分の心の移ろいに『気づく』こと」(p.226)、「集中してものごとの本質に気づくこと」(p.240)であるため、瞑想するうえで「座禅」を組むことは必須ではない、と説明されていました。

逆に、座禅という形式にこだわりすぎず、自分の心に集中する方法を自分なりに見つけていけばよいと思うのです。(p.236)

 

アクションプラン:学ぶ・書き出す・人に頼る

「智慧:現実思考」を磨き、「自分の心をおさめる」あるいは「苦しみを減らし、心おだやかに生きる」。

この域に達することができれば、「必要なだけの『智慧:現実思考』は身についた」と判断できそうですが、それこそ、言うは易く行うは難し。

 

とはいえ、できることなら「楽に」「楽しく」生きたい気持ちは切実です。

たとえ難しいことでも、本書からあらためて学んだ以下3点の取り組みをこれからも継続し、日々の「苦しみ」を手放すための試行錯誤を繰り返すなかで、自分なりの「智慧:現実思考」を磨いていきたいと考えています。

  1. 【学ぶ】「自分の心をおさめるための思考法」である仏教や、認知行動療法などの知識を得る
  2. 【書き出す】「瞑想して明らかになったものを、ノートなどに書き出してみる」(p.140):感情を具体的に「見える化」する
  3. 【人に頼る】「カウンセラーやその道のプロと呼ばれる人たちのアドバイスを受ける」(p.141)。または、「ふだんから信頼を寄せている知人や友人などに甘えて相談」(p.141)する

*1点目と3点目について、得た知識やもらった意見をうのみにするのではなく、最終的には、その妥当性を自分で判断する必要があるとのこと。

自分自身さえも疑ってみる。

そして、他人のことも一度は疑ってみる。

そのうえで、自分の智慧を活かして、あらゆる角度から検証してみて、現時点でベストだと思えるものを選び、信じていく。(p.160)

「智慧:現実思考」を磨くためには、「自分の頭で考え、信頼できる人と答え合わせをする」(p.156)つもりで、学んだり、助言を受けたりすることが重要、と強調されていました。

 

*ちなみに、「智慧:現実思考」は、スピノザのいう「理性」とも通底すると感じます。詳しくはこちら!

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「一切皆苦」という心休まるクールな教え

最後に、一見すると「認知行動療法」の「現実思考」と食い違うようにも思える一切いっさい皆苦かいく」という仏教の教えと、それを知ることで、筆者の心が軽くなった理由をご紹介します。

 

お釈迦さま(ブッダ)が残したメッセージをわかりやすくすると、以下のようになるそうです。

人生は一切いっさい皆苦かいく。すなわち、すべては苦からスタートするので、それを受け入れるしかない。そのためには、智慧ちえを育てて、抱えている苦しみを手放し、明るく快活に生きていこう。生きることは、苦の連続。どうせ病老死の苦悩から逃れることができないならば、現実を徹底して見つめたうえで、できる限り楽しく生きていこうじゃないか(p.19)

*余談ですが、上記の教えは、「認知行動療法」のカウンセリングを終えた筆者がいったん見出した人生哲学と似た部分があるため、読んだ瞬間、うれしくなりました。詳しくはこちら!

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一切皆苦」の教えを知って気持ちが楽になったのは、自分の「あたりまえ」の基準が下がった、言い換えると、「現実的に妥当な範囲」へと正されたことで、以下のような発想が可能となったからです。

  • 「苦しみ」を感じたとき、「どうしてこんな思いをしなければならないのか」と苦しみをさらに深めるのではなく、「未熟なのだから『一切皆苦』と感じても仕方ない」と受け入れたり、「それはそれとして、これからどうする?」と建設的に考えたりする
  • 「苦しみ」を感じていないとき、「ありがたい」と明るい気持ちになる

 

人生も他人も、自分の思うとおりにはならない。

この「事実」を認識することで、不要な「マイナスの感情・気分」を手放すことができる。このことは、上記「具体例:『怒り』は、自分の『勝手な期待』から生まれる」の内容とも通じます。

 

補足:「一切皆苦」は「現実思考」と矛盾するのか

この「一切皆苦」という教えは、ともすれば、「絶望の言葉」や「生きることの否定」と受け取られかねません。

 

また、言葉のうえだけで比較すれば、「認知行動療法」における「現実思考」と相反する教えだとも考えられます。

「現実思考」では、客観的であること、言い換えれば「プラス面もマイナス面も見ること」を大切にしているため、「マイナス面だけ」をとらえた結果と思われる「一切皆苦」は、現実的に妥当とは言い難いからです。

 

とはいえ、このことは、必ずしも「智慧」と「現実思考」の違いを示す例ではないと感じます。

「一切皆苦」を、絶望的、かつ動かしがたい「結論」ではなく、下記のように、暫定的な「導入」として位置づけるなら、「智慧」と「現実思考」とは矛盾しないためです。

  • 智慧」を持たず、(ものごとの「マイナス面だけ」をとらえがちな)ありのままの状態で生きていれば、「一切皆苦」となってしまう
  • だからこそ、「智慧」を養い、「苦しみの原因=自分の心」を整えることによって、苦しみを減らし、心おだやかに生きていこう

 

「一切皆苦」という強烈な言葉は人々の耳目を集めそうですし、「智慧を養いなさい」と、いきなり説かれるよりも納得感があります。

 

上記の考えを、部分的に裏づけると思われる一節が以下です。

生きることには苦しみがある。

苦しみには原因がある。

苦しみの原因がわかれば、減らしていくことができる。

苦しみをなくす方法がある。

ブッダは、人々が興味を持ちやすいように、あえてこのような順番で説かれたのです。(p.63)

 

うつむくのではなく、前を向くために「一切皆苦」であると知る

ブッダの説いた「一切皆苦」とは、そういう意味ではないかと考えます。

そして、悩みや苦しみが消えることがないからこそ、心のしくみを理解し、心を守る必要があるのです。(p.35)

 

2024年のベスト本『自分という壁  自分の心に振り回されない29の方法』の感想は、以上です。

読んでくださってありがとうございました!

 

<今日のISSEKI>

一切皆苦」と心にとめて、「あたりまえ」の基準を適正にする。